星稜・松井の記録といえば、あの5敬遠である。92年夏の明徳義塾戦。捕手が座っていたとはいえ、全20球ともバットが届かない外角球だった。夏の甲子園の個人1試合5四死球は最多で、過去4人いる。95年には松山商の2番・田中が旭川実戦で5四球を選んだが、これは敬遠ではない。5敬遠は松井1人だけだ。

明徳義塾戦松井5敬遠時の状況
明徳義塾戦松井5敬遠時の状況
夏の甲子園・個人1試合最多四死球
夏の甲子園・個人1試合最多四死球

 甲子園の敬遠は時々見られる。06年夏、大阪桐蔭・中田(現日本ハム)が横浜戦で2度歩かされた。走者がいれば、作戦としてあり得る。松井は7回、走者なしでも勝負を避けられた。高校野球の無走者敬遠は怪物ぶりを示している。松井と同じ左のスラッガーで55年春優勝の浪華商・坂崎は、決勝(対桐生)で4度敬遠された。それでも3打席目は2ストライクが入ったことで、勝負してもらえた(結果は2点本塁打)。松井が坂崎のように1打席でも勝負してもらえれば、違う伝説が生まれていたかもしれない。【織田健途】