野球関係のメディアは、今、どこを見ても堂林、堂林という感じだ。言うまでもない広島堂林翔太のブレークがすさまじい。

ついに4割は切ったとはいえ、7月27日時点で打率3割8分9厘と驚異の数字を残している。高卒とはいえ、入団11年目での驚くような変身ぶりはかなり異例のことだと思う。

「甲子園のスター」という大きな要素に加え、イケメン、スラリとした見た目で誰が見てもスター候補。「プリンス」と名付けられたのもうなずける。ここに至るまでのことはいろいろなところで書かれているが、自分にとって忘れないシーンを記したい。

あれは4年前、16年のシーズンだった。入団3年目の12年には144試合に出場、14本塁打をマークした堂林だが、15年は33試合の出場に止まっていた。そして広島はそのオフ、エクトル・ルナを獲得している。

説明するまでもないがルナは中日で15年まで3シーズンにわたって活躍。派手さはないがシュアな打撃が売りの優良外国人選手だ。中日をリリースされたタイミングで内野の補強を狙う広島が獲得した。

当時は内野、三塁を守ることが多かった堂林には新たなライバル出現だった。そのルナが4月だったか右太ももの故障で登録抹消をされた。そのとき堂林はファームにいた。ちょうど鳴尾浜球場で阪神-広島のウエスタン・リーグ公式戦が行われていたときだ。

普段は阪神の取材が中心なので、なかなか広島の若手を見る機会はない。鳴尾浜はいいチャンスだ。

堂林には高校時代を含めて、しっかり取材をしたことはない。カープの現場に行って、あいさつし、その後に軽く雑談するようになった程度だ。

それでも20歳以上年長のこちらに対する態度はとてもよく、常に気持ちのいい対応をしてくれていた。

なので、そのときも試合後、阪神ではなく広島の方の取材に出向き、堂林にあいさつした後でルナの話をしてみた。ルナが故障したみたいやね-。そのとき堂林はこう言った。

「あのケガ、全然、重くないって言うか、軽いらしいじゃないですか-」。笑顔を浮かべながらも真剣な表情で堂林は話した。

最近はプロ野球でもチームメートのためになどと言って、定位置争いのライバルに対し、頑張ってほしい、早く復帰してほしいなどと口にするムードがある。本音かどうかは分からないにしても。

人間性としては正しいし、否定はできないのだが、この世界の現実はライバルが頑張れば自分の居場所はなくなるし、活躍するチャンスも減るというものだ。

だからこそ、昔から特にカープのように生存競争が激しい球団の選手、特に若手は少々のケガでは休まなかった。鉄人・金本知憲が生まれた背景でもある。

あのときの堂林に、しっかりと芽生えてきたプロ根性のようなものを見た気がした。

もちろんルナの故障が長引けばいいと思ってはいなかっただろうが「これはチャンスか」と思い、それが「違うのか」と感じている焦りも見てとれた。

かわいい顔して、いい根性をしている。それから注目していた。ここまでの変身ぶりはまったく予想できなかったが。時の流れは速く、来年は30歳。このまま一気に中心選手の座をつかんでほしい。