NHK朝ドラ「ちむどんどん」を始め、いろいろなところで注目されているので、今更言うまでもありませんが今月15日は1972年(昭47)に沖縄が日本に復帰して丸50年、記念の年です。

この「5・15」、日本プロ野球を代表する速球投手2人の誕生日でもあります。まず48年(昭23)に江夏豊さんが誕生。そこから2年後の50年(昭25)のその日、山口高志さんが生まれています。

阪神、広島などで活躍した「優勝請負人」の江夏さん、阪急で鳴らした「速球王」山口さんの誕生日が同じ日というのもすごいな、と以前から感じていましたが、その日が日本にとって忘れてはならない記念日というのも“沖縄と野球の縁”といったようなものを感じてしまいます。

現在は母校・関大野球部でアドバイザリースタッフを務める山口さんに電話してみました。

こちらは野球部出身ではありませんが、同校OBではあり、阪神コーチ時代に取材させてもらった経緯があってレジェンド級の大先輩でありながら気軽に電話に出ていただけます。

「返還当日に何をしていたかという記憶はないんやけどね。返還前の沖縄にはパスポートを持って渡ったことはある。松下電器(現パナソニック)で行ったんちゃうかな。沖縄の社会人チームと試合したよ。初めてドルを使ったのは覚えているなあ」

日本復帰の前からプロはもちろん、社会人レベルでも交流があったというのはさすがに野球好きの沖縄です。言うまでもない沖縄の高校野球が甲子園で活躍するのを島民挙げて喜んでいたのは有名な話です。

その山口さんが現役だった阪急、さらにコーチ、スカウトなどを務めていたオリックスから阪神に来たのは02年オフのこと。同じ投手として山口さんの才能をリスペクトしていた闘将こと星野仙一さんが阪神監督時代に呼び寄せたのです。

その星野さんは沖縄が大好きでした。阪神のキャンプ地も就任初年度の02年はすべて高知・安芸でしたが03年には宜野座村に前半だけ移しました。

03年1月末に星野さんと沖縄入りして、宜野座の球場、三塁側スタンドに座って「どうや? エエとこやろ~」と胸を張っていた星野さんの顔は今でも覚えています。

その星野さんの口癖は「球界は沖縄に感謝しなければいけない」というものでした。

「野球の世界で言えば沖縄は『日本のフロリダ』や。キャンプでどれだけ世話になってるんや。日本のプロ野球は沖縄にもっと恩返しせないかんよ」

そんな話をよく聞かされました。米軍基地の存在をはじめ、沖縄を巡る問題は多く、それぞれにさまざまな意見があり、難しい。

それでもハッキリしているのは沖縄は野球が好きだし、球界も沖縄が好きです。ソフトバンク東浜投手の「無安打無得点」の快挙にはみんな喜んでいると思います。

もちろん野球ファンも、そして日本の人々もみんな沖縄にはお世話になっているし、みんな沖縄が好きなはずということです。

そんな沖縄、キャンプだけでは申し訳ない。毎年、12球団が必ず沖縄で1カードはゲームを行う。コロナ禍も去って、そんなときがやってくるように願っています。【高原寿夫】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「高原のねごと」)

江夏は、王(手前)から三振を奪い奪三振の日本記録を達成=1968年9月17日
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山口高志氏(2020年11月10日撮影)
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