大きな見出しになっていた。9月18日付のスポーツ新聞だ。「矢野阪神、V逸!」。わかっていても、ファンには悲しいフレーズ。また今年もダメだったか…。

阪神は2リーグ分立後、リーグ優勝を5度飾っている。若いファンには遠い昔のことだが、1962年、1964年。村山、小山、バッキーを擁し、まさに投手力で頂点に立った。そこから次が長かった。21年もかかった1985年。列島を狂喜させた猛虎打線がセ界を席巻した。

次に待ち受けていたのは天国から地獄の転落。地獄から暗黒時代に入り、18年もの低迷期を星野仙一が大改革した。2003年の歓喜のV。その2年後、2005年は岡田彰布に導かれ、これで常勝軍団になった…とファンの誰もが感じた。

ところが甘くはなかった。そして、ついに17年か。今年も敗れ去り、長い、長い空白の時は続くことになった。

1985年、喜びのあまり道頓堀川に飛び込んだ少年を知っている。あの時、16歳だった彼は、いま53歳になった。「道頓堀に飛び込んだらアカンのはわかっていたけど、どうしても止まらなかった」と笑うが、「あれから2度だけ。37年で優勝が2度だけって、どう考えてもおかしい」と、彼は憤慨する。

確かにそうだ。セ・リーグは6球団。持ち回りにしたら6年に1度は優勝するはず。それが十数年に1度の胴上げでは、納得できない。

それでも53歳になった彼はファンを続けている。ふがいなさを感じつつ、それでも阪神を見捨てることができない。多くはそのようなファンばかりなんだろう。

だから大改造に着手してほしい。いや、ほしいというより、球団は優勝できるチームにするため、大幅に見直すべきではないか。その手始めが新監督の人選なのだが、一方で球団がどのようにして「球団力」を高めていくか。ここに期待する。

現在、多くのチームにGMという存在がいる。優勝に進むヤクルトには小川淳司GM。彼は監督を経験し、そこからいまの要職についた。現場の実情を把握し、中長期のスパンで球団のあるべき姿を考えている。補強、ドラフト、外国人。さらにコーチ編成や危機管理。専門的な知識と経験がある人材が、チームにとっていかに重要か。それがわかっているから各チーム、GMを配置している。

阪神にも存在していた。中村勝広である。監督を務め、オリックスでも監督につき、貴重な経験を積んで、阪神のGMに就任した。だが過酷だったのだろうか。思うように進まぬ実情に神経をすり減らし、それもあって、若くして急死…。そこからタイガースからGMは現れていない。

だからいい機会ともいえる。しばらくすると、新監督が決まる。そのタイミングで球団も変革に進んでもいいのでは、と考えている。勝つ、負ける、優勝する、できないは監督、選手の責任だけではない。球団のバックアップが必要不可欠。それはいつも球団上層部は口にする。「全面的にチームを支え、バックアップする」。しかし長い間、実ったことがない。

9月18日の甲子園。注目のカードとなった阪神-ヤクルト戦。阪神はV逸となったが、CSのチャンスが残っているし、ヤクルトには村上がいる。敵であっても村上のホームランを見たいと、甲子園は早々と入場券は完売。多くのファンがスタンドを埋めた。

観客数は12球団ナンバー1。優勝できなくても、ファンは球場に足を運んでくれる。ありがたいことだ。でもファンも我慢の限界がある。2005年からもう17年が過ぎた。もう何とかしないといけない。当然、球団に危機感はあるだろう。それを具体化してもらいたい。そのためには、先に書いたGM制度の復活とか、抜本的な強化策に挑んでもらいたい。

道頓堀に飛び込み、53歳になった熱狂的なファンは「次が10年後なんてことにならないように。でも阪神ファンは辞められんやろうけどね」。こんな言葉に甘るわけにはいかない。(敬称略)【内匠宏幸】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「かわいさ余って」)

阪神優勝パレード 沿道の観衆に手を振る左から岡田彰布監督、平田勝男コーチ、正田耕三コーチ(2005年11月6日撮影)
阪神優勝パレード 沿道の観衆に手を振る左から岡田彰布監督、平田勝男コーチ、正田耕三コーチ(2005年11月6日撮影)