日本中を興奮の絶頂に導いた。大谷翔平、驚愕(きょうがく)のアーチは3月6日、京セラドームで出た。それも2本だ。1本目がすごかった。くどくど書く必要はない。目撃したファンはわが目を疑った。右手でボールを運び、そして左ひざを地面につけての1発だった。あれがホームランになるのか? 驚きの声は、しばらく鳴りやまなかった。

「あれをホームランにするんやからな。すごい…ということ。それだけよ」。打たれた側の監督、岡田彰布は素直に大谷の底抜けの能力を認めるだけだった。

打たれた投手のことを考える。岡田は侍ジャパンとの強化試合、あえて若い投手をぶつけた。「何事も経験よ」。打たれても仕方ない。対戦することに意義がある。そういう意味では岡田の狙い通りの結果といえる。

阪神先発の才木を悪くいう声はない。1打席目、高めのストレート、ボール球だったが、これで大谷を三振に仕留めた。そして2打席目、追い込んでからのフォークボールは、素晴らしいコースに投げた。フォークの落ちもよかった。それでも大谷は驚きの打法で、打ち返した。

逃げなかった。これが才木に与えられた評価だった。岡田は満足そうだった。もし結果が四球だったら…。先発した意味がないと、監督としてガックリきていたに違いない。

快音が発せられた瞬間、投げ終わった才木は振り返り、打球の行方を目で追っていた。これがメジャーでトップクラスのバッティングか。それを肌で感じただけで、彼には大きな収穫だった。

ホームランを打たれた投手にスポットが当たる。これで思い出すのが1977年9月3日のことだった。後楽園での巨人対ヤクルト戦。王貞治の本塁打通算世界記録がかかっていた。異様な空気の中、ヤクルト先発の鈴木康二朗は、得意のシンカーを投げたが、王に完璧にとらえられた。756号。両手を上げてダイヤモンドを回る王を見つめながら、マウンドで鈴木は唇をかみしめていた。

数年後、鈴木はヤクルトから近鉄に移籍した。当時、僕は日刊スポーツの近鉄担当だった。だから鈴木を取材することがあった。大柄で、寡黙な人だった。何年経ても、聞かれるのは756号のことだった。うんざりしているはずなのに、鈴木は思い出しながら、口を開いてくれた。

その中で必ず声にしたフレーズがこれだ。「オレは逃げなかった」。自分の得意な球を投げて、それをライトスタンドに運ばれた。逃げなかったからこそ、ホームランを打たれた。これが一生涯、鈴木の誇りであった。

「もし警戒して、ボール球を続け、四球になったら悔いが残る。打たれてもいいから、自分のピッチングをすることしか頭になかった」。口数の少ない鈴木なのに、756号に感じては饒舌だったのが印象に残っている。

世界記録を許した投手のその後。「そのまましぼんでしまったら、王さんに失礼にあたる。いい投手だった…といわれるように、オレは頑張った」。通算81勝ながら、長きにわたって先発投手として投げた。

今年になって訃報が報じられた。2019年にすでに亡くなっていたというものだった。1本のホームランで人生が大きく動いた。そして、鈴木は王貞治の名を高めるとともに、歴史に名を刻んだ投手として逝った。

こんな思い出と、今回の才木の被本塁打は次元が違い、同列には扱えないけど、大谷の本塁打が振り返られる時、3月6日の1発は間違いなく、語り継がれる。打たれた才木もまた逃げなかったことに、胸を張ればいい。この経験でへこむような若者ではないはずだし、プラスにもっていける才能が彼にはある。

大谷に打たれた男…。三振を奪い、本塁打を浴びた。この2打席がこれから先、どのように作用するのか。必ず生きる。そう願ってやまない。【内匠宏幸】(敬称略)(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「岡田の野球よ」)