レギュラーシーズンに入ると、ヒーローインタビューがある。いわゆる「お立ち台」というものだ。その時、打のヒーローからよく聞くフレーズがこれ。「気持ちで打ちました!」。そんなこと、あるかいな…といつも思っていた。

それで現役時代の岡田彰布に尋ねた。「気で打てるものか?」。すると真顔で「打てる。打てます」と返してきた。岡田だけではない。取材した超一流打者も同様だった。広島カープ担当の時の山本浩二。「そら気持ちが入らんと、打てんやろ。内野フライが気持ちで外野の前に落ちる。野球はそういうもんや」と言った。

南海ホークス担当の時の門田博光。「オレのような小さいものが対等に戦うには、技術プラス気持ちや。それがなければ、打球は失速する。そんなん、何度も経験してきた」。

「気」、「氣」とサインに記すバッターもいる。投手もそうだが、戦う上において気持ちの入り方は重要な要素といえる。岡田がプロに入り、最初に気を感じた相手が掛布雅之だった。1980年の1月半ば。阪神の合同自主トレに参加したルーキー岡田は室内練習場での掛布のティー打撃に驚いた。掛布の隣で佐野仙好がバットを振っていた。「佐野さんは息を止めてのインパクト。ところが掛布さんは、打つ瞬間、ハッと声を出す。いままでに見たことのない練習やった」と振り返っている。

その時に気を感じた。練習でも1球1球、気持ちを込めて。これがプロの姿か…と、いまでも鮮烈な印象として残っている。技術論に卓越した岡田も気の大事さ、メンタルの必要性を改めて知ったのである。

現在、阪神はオープン戦最下位。まだ2勝(12敗1分け=3月21日現在)と不安な状況が続いている。要因は多くある。打線の低調、投手陣の不安定さ。そこに気の薄さも…。これをなんとなく感じる。

数日前の中日戦。テレビ放映を見て、最も印象に残ったのが中日の選手の必死さだった。打席に立つ中日の若手打者はすべてがむしゃらな表情で投手と対峙(たいじ)していた。気が出ていた。これで打てるなら、楽なものだが、これが泥くさいヒットになって表現された。気で打った安打…。テレビでもそれが伝わってきた。

阪神はどうか。気持ちが入っていないとは言わない。それぞれが必死で戦っているのはわかる。だが、どうしてもその日の中日の選手と見比べてしまう。昨年のリーグ優勝、そして日本一。これによって、違う感覚が生まれているのでは。そんな感じがした。

投手と向き合った時、バッターが受けに回っている。そう思ったし、それが気の薄さに感じるのだ。昨年のことを自信にすればいい。それはわかるが、緩みとなってはいけない。そこが心配点と挙げる関係者がいたけど、現状は「?」でしかない。これまでの偉大な選手が伝えてきた気の大切さ。現状打破へ、本番まで1週間しかない。【内匠宏幸】(敬称略)