センバツ準優勝の習志野(千葉)アルプスは、吹奏楽部の「美爆音」が響き渡った。音色や音量はもちろん、演奏の合間に女子部員たちが大声を出していることにも圧倒された。

やがて音に慣れて周囲を見渡すと、また新たな発見がある。吹奏楽部だけではない。アルプス全体が野球部の応援に本気だ。大人も、子どもも、習志野市長も。年齢や立場に関係なく、誰もが照れずに全力で応援している。控えの野球部員たちも懸命に応援しているが、マクロで見ると全くと言っていいほど目立たないほどだ。

小林徹監督(56)は「習志野は比較的コンパクトな街ゆえに、関わってくださる方々が他と比べて熱いなと感じる。子どもたちを、昔ながらのように見守ってくれる」としみじみ話す。地域が子どもを包む-。440キロ離れた習志野の街を体現するかのような、甲子園のアルプスだった。

小林監督自身、習志野で生まれ育った。海の近くに家があり「ランドセルを置いたら、谷津の干潟で潮干狩りですよ」と懐かしむ。国道14号が海と陸の境目だった。京葉道路ができて、陸が広くなり、東関東道の完成で海はもっと遠くなった。「新しさと古さが融合して、新陳代謝が少しずつ進んでいる感じなのかな、習志野市は」と話す。

市船橋で監督人生が始まった。野球部の活動が少ない学校で、バレー部の顧問として指導した時期もある。母校・習志野に戻り十余年。厳しいだけではダメ。新陳代謝は、教えにも現れる。このセンバツでも選手たちへの尊重を貫いた。「例えば今日の(東邦の)石川君への攻め方にしても、私は作戦を考えるその場にいないんです。自分たちでやる野球を、自分たちで考えてほしい」。

見守る。気になることがあれば「これからディスらせていただきます」と若者言葉で指摘したりもある。でも、見守る。2回戦終了後、相手校からサイン盗みの疑いを掛けられた。決勝を終え、宿舎に戻った小林監督にあらためて思うところを尋ねた。

「あの後、私から選手たちには特に何も言っていません。でも、子どもたちは(騒動に)反応してもおかしくない年齢で、何も感じていないわけではないと思う。それでも(指摘されたという事実を)受け入れて、きちんと取材にも対応し、試合に向けて集中して準備した。そのたくましい姿に、人として成長したというか、大人になったなと感じていました」

監督いわく「おらが街のあんちゃんたち」として愛される習志野野球部。今年のチームカラーという「懐古的な泥臭さ」が、市民の心により響いたのだろうか。「いつか逆の立場になっても、この連帯感を大事にしてほしいかな」。監督というより、近所のおじさんのような表情で選手たちを見つめた。【金子真仁】

決勝戦 習志野対東邦 習志野の応援団(撮影・清水貴仁)
決勝戦 習志野対東邦 習志野の応援団(撮影・清水貴仁)