野球界の「松本さん」といえば、ロッテの元内野手、現球団本部長の松本尚樹氏(49)だ。そう思うのは、3年前までロッテ担当をしていたからだろう…そんなことを考えながら、新宿から特急あずさに揺られ2時間半。松本駅に着いた。

取材先は、長野県高野連。中止になった夏の選手権の代替大会を開くのか、どうか。会見まで時間があったので、タクシーで松本市野球場へ寄ってみた。訪れるのは、昨夏の長野大会以来となる。ちょっと歩くとアルプスが見え、温泉街も近い。澄んだ空気と緑が心地よく、好きな球場の1つだ。が、白い幕で覆われていた。全面改装中ではないか。

改装工事中の松本市野球場(撮影・古川真弥)
改装工事中の松本市野球場(撮影・古川真弥)

新型コロナウイルスで野球ができないから改装工事にあてたのか、と勘ぐってしまった。旧県営球場から改装されたのは91年のこと。30年近い年月で雨漏りが起き、自慢の天然芝もガタガタになった。本年度の休場は、前々から決まっていたそうだ。

球音の消えた球場で、74歳になるというタクシー運転手の言葉を思い出す。「もう今年は野球が見られませんかねえ」と寂しそうだった。全面改装だからではなく、コロナだから。「松本はね、サッカーも、野球も盛り上がるんですよ。巨人が来た時、原さんは外野を守ってましたねえ。高校野球は松商学園。最近は、松本第一が力をつけてますよ」とお国自慢もしてくれた。

運転手に冒頭の「松本さん」の話をしたら「覚えてますよ!」と返ってきた。松本氏と松本市には、ちょっとした縁がある。

入団4年目の99年。6月に松本遠征があり、日本ハムとの2連戦を戦った。松本は初戦のホームランに続き、第2戦では延長12回に決勝タイムリーの大活躍。ヒーローインタビューで「松本という土地がヒットを生んでくれた。この土地が好きだし観光でまた来たい」と盛り上げた。

ここまでは、まぁ、ありそうな話ではある。続きがすごい。松本の言葉に市民が感激。市役所に「地元をPRしてくれた松本選手に感謝の贈り物をしてあげて」との電話が殺到したという。翌日の移動日、急きょ松本駅で贈呈式が開かれた。市の助役から伝統工芸品「手まり」を贈られたのだ。

ロッテでプレーした松本尚樹氏(01年7月)
ロッテでプレーした松本尚樹氏(01年7月)

松本市民の温かさが伝わる話ではないか。松本さんに連絡してみよう。「おお、覚えてるよ! まり、もらったなあ。まだ家にあると思うよ」と懐かしんだ。その後、観光で行きましたか? 「いやいや、俺らの仕事で旅行なんてできないよ」。

松本氏は01年限りで引退後、スカウトを歴任した。東奔西走、オフのない生活が続いた。ただ、1度だけ松本を再訪している。08年に東海大三・甲斐拓哉投手を視察した。「いい投手だったなあ」。オリックスにドラフト1位で入団。縁はなかったが、力を評価していた。

こぼれ話がある。甲斐を視察した際、1泊した。同行したのは永野スカウト(現プロ・アマスカウト部長)。チェックイン時に「永野(長野?)、松本です」と伝えたら、ホテルマンに笑われたそうだ。

以来、松本を訪れることはないが「また見に行けたらなあ。縁があればいい」と願う。

縁といえば、決勝タイムリーを打った日本ハムの投手は、黒木純司。その後、ロッテに移籍し、引退後は松本さんと一緒にスカウトとして働いた(現在もスカウト)。縁で結ばれる野球界。それも、試合があるからこそ。雨漏りもウイルスも心配いらない球場で、逸材を見届ける日が待ち遠しい。【古川真弥】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)

ロッテ佐々木朗(手前)に声をかける松本球団本部長(2020年3月27日)
ロッテ佐々木朗(手前)に声をかける松本球団本部長(2020年3月27日)
代替大会について話す長野県高野連の西條会長(左)と依田専務理事(撮影・古川真弥)
代替大会について話す長野県高野連の西條会長(左)と依田専務理事(撮影・古川真弥)