やり切った。すがすがしかった。西東京大会を制し、優勝インタビューで男泣きしていた日大三・寒川忠(さむかわ・あつし)主将(3年)の目に、涙はない。ナインの先頭に立ち、家族が見守るアルプススタンドに頭を下げた。
「小倉監督を日本一にするために、日大三に行ってくる」
兵庫・宝塚第一中3年時。父・淳さん(51)に何度もそう繰り返した。心を燃やし、関西から上京してから、2年半。心からリスペクトする小倉全由監督(65)も全幅の信頼を寄せる男になり、地元甲子園で高校野球を終えた。寒川家の次男は、誰の目にもたくましい主将になっていた。
無邪気で素直。「あっくん」と愛される。5歳上の兄・豪さん(たける、23)の背中を追って、地元宝塚の少年野球チーム「仁川ユニオンズ」で野球を始めた。豪さんと自宅前での素振りが日課。共働きの両親が帰宅するまで、振り続けた。日大三にほれたのは、その頃からだ。
プロ野球ドラフト会議直後のドキュメンタリー番組にくぎ付けになった。14年、オリックスからドラフト1位指名を受けた日大三出身の明大・山崎福也が取り上げられたVTR。そこに登場した小倉監督に心を奪われた。
「あんな監督さんやったら、俺も日大三行きたいなあ」
家族だんらんのリビングでつぶやいた。まだ、小学4年生。幼いながら、野球だけじゃない、寝食とともにし選手に寄り添い、人間教育も徹底する名将のもとで野球がしたいと思った。片思いが始まった瞬間だった。
小学6年時には阪神タイガースジュニアに選出された。中学では広島小園、ロッテ藤原らを輩出した枚方ボーイズで主将。当然、全国の強豪から声がかかった。ただ、日大三への思いは強かった。
兵庫・神戸国際大付で15年夏の甲子園に出場した豪さんの言葉も後押しになった。「小倉監督のもとだったら、俺でも、もう1回高校野球やりたいわ」。1度は「地元の選択肢もある」と反対した淳さんも、「目がキラキラしてたんですわ」。最後は折れた。
淳さん、母・桜さん(49)は剣道で何度も全国大会を経験。中学3年の妹・千桜さん(ちはる、14)もソフトボール部。アスリート一家で育ち、何事にも一生懸命取り組む尊さ、前向きに生きることの大切さを教わってきた。
だからこそ、偉大な監督の指導が、極めて自然にマッチした。帰省時には「母さん、あのな、小倉監督が言うこと、母さんと一緒やわ」と言ったこともある。まるでわが家のような環境で野球に打ち込んできた。
桜さんは「作文は子どもたち3人の中で一番うまい」と笑う。そんな忠が、寮から手紙を送ったことがある。
「元気ですか? 自分は毎日頑張って練習に励んでいます。豪がホームランを打ったりしているのを見て刺激されています。千桜も仲間と仲良くソフトを楽しんでください。また3人でキャッチボールする日を楽しみにしています」
便箋は今も、大切に実家に保管する。兵庫と東京。離れている間、いつの間にか、気遣いのできる青年になっていた。
主将として4年ぶりにチームを聖地に導いた夏。爽やかに、負けた。グラウンドで我慢していたものが、取材エリアでは一気にあふれ出た。おえつが漏れる。それでも主将らしく、精いっぱい振り絞った。
「監督さんのもとで3年間、野球ができて、自分は本当に幸せ者だなと思う。(両親には)自分を三高に入学させてくれて、ありがとうと伝えたいです」
予定より少し早い夏休み。豪さんと千桜さんがグラブを持って、兵庫の実家で待っているはずだ。【プロ野球・阪神担当 中野椋】