エエやないか。大山悠輔。思わずつぶやいた。殊勲インタビュー。「死ぬ気でいきました」。決勝打を放った大山はそう言った。大山の記事は虎番記者の話で読んでいただくとして、そのセリフを考えてみたい。

阪神対中日 ヒーローインタビューでポーズを決める伊藤将(左)と大山(撮影・清水貴仁)
阪神対中日 ヒーローインタビューでポーズを決める伊藤将(左)と大山(撮影・清水貴仁)

中高年が仕事上で「昔はこうだった」などと苦労話、成功談を聞かせるのはよくないそうだ。プレッシャーを与える、時代は変わった、参考になりません、アンタとは違う、そもそも盛ってませんか?…など。もっと違う理由もあるかもしれない。

わが身を振り返れば成功談は特にないはず。だから、その辺は心配ないかと思っているが苦労話、失敗談ならたくさんある。後輩記者を前に思わず「昔はな…」などと言いかけ、やめた経験がある。言ってしまった経験もあるけれど。

そう前置きをした上で「死ぬ気でやれ」などという言葉は学校でも会社に入ってからも以前はよく聞いたもの。それに関して闘将・星野仙一がこんな話をしたことがあった。

「死ぬ気でやれっていうんや。いや、おまえ、そうは言ってもホンマに死んだらあかんねんぞ。もちろん。それは分かるやろ? そんなことは言うまでもないことやけどな…」

言われた方は「どっちやねん」と思うかもしれないが星野の言うニュアンスは分かる。仕事を理由に死ぬなんてあってはならないし、優先順位は「家族」などに次ぐものだろう。上司から「話聞けるまで帰ってくるな! 死ぬ気でいけ!」と怒鳴られても(あくまで数十年前の話です)、そりゃ夜中になれば帰りますわ。話聞けてなくても。上司だって帰るし。

「全身全霊で取り組め」という「例え」の話だ。でも今はそんな表現自体よくないし、怒鳴ったからと言って効果もない。だから「死ぬ気で…」なんて古いと思っているが不振で苦しむ大山の口からその言葉が出て「ほお」と思った。

精神論に意味はない。そう言う人は多いだろう。実際、ないかもしれない。だけどやるべきことをすべてやって、それでも結果が出なければ、あとはやっぱりそこかも…とチラリ頭をかすめる自分がいる。

阪神対中日 6回裏阪神2死一、三塁、バットを折られながらも右前適時打を放つ大山(撮影・清水貴仁)
阪神対中日 6回裏阪神2死一、三塁、バットを折られながらも右前適時打を放つ大山(撮影・清水貴仁)

苦しい日々だ。ヤクルトはもちろん、王者・巨人を相手に勝ち抜くために必要なものは何か。そう考えたとき大山が口にした「死ぬ気で」という言葉に思いをはせる。あくまで「例え」だけれど。(敬称略)【高原寿夫】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「虎だ虎だ虎になれ!」)