先日亡くなった球界のレジェンド・中西太は梅野隆太郎が好きだった。中西は身長174センチ、梅野は173センチ。さほど大きくないのにフルスイングするところを好んでいたようだ。覚えているのは梅野がプロ2年目だった15年5月13日のヤクルト戦(神宮)のことだ。

神宮ナイターの通例で試合前練習は室内練習場で行われていた。そこに中西がふらりと登場。ベンチに座って話していると、梅野があいさつにきた。

意外にも? 若い選手は“球史”を知らないことが多い。レジェンド級の解説者が横を通ってもあいさつしない場合もよく見てきた。8年前も同様だ。中西が誰かを理解している選手も多くなかったと思う。

しかし当時23歳、福岡出身の梅野は西鉄ライオンズで活躍した中西が偉大な人物であると理解していた様子。中西の姿を見つけるなり、あいさつにきた。独断と偏見で書いて、こういうところが梅野の良さだ。

ヘルメットを取ってあいさつする梅野。中西はこう声を掛けた。

中西 いろいろと言われてると思うけど「何苦楚(なにくそ)」で頑張れよ。何苦楚って知ってるか?

梅野 何苦楚魂ですか。

梅野はそう即答した。すると中西は梅野のヘルメットを取り、裏にある白いクッション部分に「こう書くんや」とペンを走らせた。「何苦楚」-。うれしそうな表情を浮かべた梅野、そのゲームできっちり本塁打を放ったのである。

中西の訃報が明らかになった18日、梅野はこんな話をした。「ニュースで知りました。本当に残念です。気にしてもらってたし、本当に残念すぎます。でも何苦楚は忘れません」-。

指揮官・岡田彰布から正捕手として指名され、奮起して挑んだ今季だが打撃不振に加え、スタメンマスク時にコンビを組む先発投手が打ち込まれることが続き、苦しいシーズンである。

だからこそ「何苦楚は忘れません」なのだ。中西の義父である名将・三原脩の「何苦楚 日々新也(なにくそ ひびあらたなり)」から来た言葉。「何ごとも苦しむことが礎(いしずえ)になる」との意味だ。

梅野だけの話ではない。野球選手の話だけでもないと思う。古くさいと言われても苦しむこと、苦労が物事の土台になるのはいつの世も同じだと思う。何ごとも簡単にはいかないのだ。梅野も、阪神も、まだこれからである。(敬称略)【高原寿夫】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「虎だ虎だ虎になれ!」)