8月6日、開幕戦の始球式--マウンドに立つ斎藤佑樹さんを見て、胸が熱くなった。「あぁ、あの時の斎藤君だ!」。06年の春、夏の甲子園。きゃしゃな野球少年が、1試合ごとにたくましく勝ち進み、夏全国制覇する姿が頭をよぎった。そして--しなやかなフォームに、足を上げた時のための作り方。大学、プロを経てもなお、甲子園での姿をほうふつとさせた。

斎藤君を初めて取材したのは06年センバツ。大会期間中、宿舎でインタビューをさせてもらった。スレンダーな体系に優しい笑顔。まるでディズニー映画に出てきそうな“王子”そのもの。ひと目で「人気が出る!」と確信した。そのとおり、準々決勝敗退も、大会が終わると人気はグングン上がり、当時担当していた「輝け甲子園の星」の人気投票は1位を獲得。その後、プロに入ってからの取材で当時を振り返り、「センバツで優勝もしていなくて、全然有名じゃなかったのに1位になれて。ずっと見ていた雑誌だったから、おぉ~って(笑い)。うれしかったっすよ」と笑顔で話してくれたのを、よく覚えている。

夏の甲子園での活躍、そして「ハンカチ王子」と呼ばれ、大変な人気になったのは誰もが知るところだろう。「最初はね、騒がれるのは正直うれしかったんです。でも、だんだん野球じゃない面で騒がれるようになって。それは嫌でしたね」。(以下、コメントは15年取材より)

学校の行き帰りの電車でも騒がれてしまい、いつしか人目を気にするように。「ハンカチ王子」は社会現象にもなり、秋の国体ではワイドショーのリポーターも大挙して取材に押し寄せた。記者席では、試合を見ながら野球のルールを質問してくる芸能リポーターもいたほど。選手の安全を守るために取材ルールも変わり、とにかく異様な雰囲気だったのを覚えている。

「なんで甲子園のマウンドでハンドタオル出したんだろう、って後悔しましたよ(笑い)」。

今でこそ優しい笑顔で懐かしく振り返ってくれるが、まだ18歳の少年が、ひと夏で自分を取り巻く環境がガラッと変わってしまい、そのギャップに戸惑うことは多かったはず。甲子園で活躍すること、優勝すること。それは、高校球児、誰もが抱く夢のはずなのに、甲子園がきっかけで人生が変わり、その後の大学野球での活躍、そしてプロ入りで常に注目され、その一挙手一投足に誹謗(ひぼう)中傷されることも。いつもテレビで見る姿に、笑顔が消え、苦しそうにさえ見えることもあった。斎藤君にとって、甲子園は人生の足かせになっていなければいいなぁ…。いつも、そんなことを考えていた。

16年を経て、今、甲子園のマウンドに戻ってきてくれた。たった1球でも、当時の姿がよみがえる。初めてインタビューした時に「僕、野球が好きなんです」と言ってくれた、あの時の澄んだ瞳のまま。イケメンの野球少年は今もなお輝いていた。あらためて思う-「斎藤佑樹」は甲子園がよく似合う。