「前の手(右手)を使ってないって言われそうだな(笑い)」

 高校時代の投球フォームの写真を手にしたソフトバンク王貞治球団会長(75)のそんな言葉から今回の取材は始まった。

 「厳しかったけれど、野球をやれることが楽しくて仕方なかったですよ。(週明けに、野球部ではない)同級生から土、日曜日にこんな楽しいことがあったという話なんか聞いてね。うらやましいなあなんて思いながら、そういうことしようとは思わなかったね」

 プロの世界で通算868本塁打の金字塔を打ち立てた王会長にとっても、特別な時期だったようだ。仲間とのかけがえのない思い出も、何だかほほえましい。

 「学校の帰り(道)にパンを売っているお店があってね。(練習のとき)かばんをそこに預けていたから、かばんを受け取るとコッペパンと牛乳。電車の中で食べながらね。同級生とワーワー言いながら。電車通学楽しかったね」

 巨人現役時代、つねに本塁打を求められ、1本足打法で期待にこたえてきた。「過ぎたことは気にするタイプじゃない。昨日打ったホームランなんて(翌日には)忘れてますから。いいことも悪いことも」なんて軽く言うが、「世界の王」しか分からない重圧との戦いだったのは容易に想像できる。

 「いつか自分の人生を振り返ったとき、高校時代の野球は一番大事なものだろうね。大人になってからは仕事でやるようになったからね。高校のころは、ただ純粋にね」

 青春の1ページをたっぷりと語ってもらい、1時間近くの取材時間はあっという間に過ぎた。早実時代の写真を渡し、席を立って、取材のお礼を言おうとすると“先手”を見舞われた。

 「いやあ、ありがとう。孫に見せますよ。おじいちゃんも高校野球の選手だったんだぞって」

 その瞬間の王さんの柔和な笑顔。きっと、この先も忘れられないだろう。【松井周治】