第97回全国高校野球選手権新潟大会は今日10日、ハードオフエコスタジアム新潟で開幕する。第4シードで上越のエース飯塚亜希彦(3年)が初優勝へ、チームをけん引する。ダイナミックなフォームから最速142キロの速球が魅力。90年(平2)の高田工(現上越総合技術)以来、25年ぶりの上越地区からの甲子園出場を狙う。今夏は1915年(大4)に第1回全国中等学校優勝野球大会が開催されてから、高校野球100周年となる夏。メモリアルイヤーの頂点をかけた戦いが始まる。

 エース飯塚は、全員の思いをパワーに変えてマウンドで踏ん張る。「野手、ベンチ、ベンチ外の選手。すべての人の思いを込めて投げたいです」。持ち味は180センチの長身から角度ある最速142キロの直球。「夏は三振にこだわりたい。三振を奪えば自分も乗り、チームも乗る」と強気に押す投球を誓った。自らを奮い立たせ、ナインを鼓舞する投球は、「守備からリズムをつくる」と言う川田淳監督(51)の思いに通じている。

 実は飯塚の帽子のツバの裏には、「one for all・all for one」(1人はみんなのために、みんなは1人のために)と記してある。フォア・ザ・チームの決意を表した言葉。「all」のために果たすエースの責任は重いが、「点を取られても切り替える」とマウンド上では冷静に集中する。そう言えるだけの自信は、豊富な練習で培ってきた。

 冬場は「ケガ防止のために」体幹を鍛えた。走り込んでスタミナもアップ。校舎の約50メートルの廊下を片道20~30回、雑巾がけをして足腰強化と、ユニークなトレーニングも取り入れた。飯塚は「ひと冬を越えて、ジャージーがパツパツになった」。カーブ、スライダーに加え、チェンジアップも習得。球種が増え、投球の幅も広がった。

 姓は飯塚と書いて「いいつか」と読む。昨夏の覇者で甲子園4強の日本文理エースは、飯塚悟史(18=現DeNA)。昨夏は「いいづか」が活躍したが、今夏は「いいつか」が飛び出す番だ。上越地区からは90年の高田工以来、甲子園出場はなく、同地区から25年ぶりに挑戦する。「いいづかと間違って呼ばれることが多い」という名前を正確に覚えてもらえたとき、甲子園出場も大きく開ける。 【涌井幹雄】

 ◆飯塚亜希彦(いいつか・あきひこ)1997年(平9)9月8日、新潟・上越市生まれ。野球は大瀁(おおぶけ)小1年から始め、高校では1年秋から背番号1。好きなプロ野球選手は西武岸孝之投手。家族は両親と兄。180センチ、81キロ。血液型O。右投げ右打ち。