夏の甲子園で、宮城・仙台育英が決勝に進出した。石巻中央リトルシニアの会長を務める斎藤匡さん(67)は19日、特別な思いで試合を観戦した。仙台育英出身の愛息泉さん(享年22)を東日本大震災で亡くした。3年生だった06年夏に甲子園出場を果たし、2年生エース佐藤由規(現ヤクルト)とバッテリーを組む正捕手だった。高校野球100年で東北勢初となる全国制覇を、天国にいる息子とともに被災地石巻から祈った。

 仙台育英の決勝進出に驚きはしなかった。この日、石巻市内の自宅で試合をテレビ観戦した斎藤さんは力を込めた。「決勝に行くべくして行った。今年は逆方向に強い打球が打てる。素直にうれしいね」。石巻中央リトルシニア出身で、自身の教え子でもある背番号14佐々木啓太(3年)のベンチ入りも、喜びに拍車をかけた。

 11年3月11日、家業を継ぐため地元石巻に帰ってきた泉さんを津波が襲った。遺体が発見されたのは4月27日だった。今でも斎藤さんは寝る前に思う。「どこに隠れてるんだ。姿見せないで何してるんだ」。

 泉さんは仙台育英で06年夏に甲子園出場を果たした。後にヤクルト入りする由規の150キロを超える剛速球を受けるため、近距離からマシンのスライダーを捕球して正捕手の座をつかんだ。1勝したものの、2回戦敗退に終わった。当時、保護者会の会長を務めていた斎藤さんは「佐々木(順一朗)監督を胴上げできなかった」と悔しさが残った。

 父子2代の悲願まであと1勝。泉さんの後輩たちが優勝してくれることが、最大の供養となる。勝利のインタビューを受けていた佐々木監督の表情に、斎藤さんは手応えをつかんでいる。「06年宮城大会決勝で再試合を制した時の顔に似ていた。やれることはやったという自信に満ちあふれていた。勝ち負けを超越した顔だった」。

 帰宅を願って、部屋は当時のままだ。トレーニングルームには、今でも泉さんの活躍を記した記事が張られている。「(決勝戦で)泉は天国から降りてくると思う。佐々木監督の後ろから応援してるよ」。目に見えない力が仙台育英ナインを東北勢初の全国制覇へ導く。【高橋洋平】