スター軍団の元捕手が、激戦区神奈川で51年夏以来となる、県立校の甲子園出場を目指している。白山・村田浩明監督(29)は、横浜高校時代の03年センバツで涌井秀章(29=現ロッテ)とバッテリーを組み準優勝を果たした。監督になり、現役時代とは180度違う環境で奮闘している。

 グラウンドは愛と工夫であふれていた。ブルペンはほぼ、村田監督のお手製。みんなで作った照明は、100円均一で買ったLEDライトにアルミホイルが巻きつけられている。白いボードには「Hakusan」のロゴが描かれている。「夜な夜な自分でペイントしました」。腰まであった芝は授業の合間に根気良く抜いた。まさに、今はやりの日曜大工「DIY」(Do it yourself)で、一から作り上げた。

 公立校で勝負しようと思ったきっかけは、野球を諦めかけたところからだった。指導者になるため進学した日体大では野球観の違いに戸惑い、野球を好きな気持ちが途絶えた。恩師の渡辺元智監督(71=現横浜総監督)を訪ね、打ち明けた。「それなら、うちでコーチでもやってみるかと言ってもらいました。勉強という形で」。大学2年の終わりから、母校のグラウンドへ再び通い始めた。

 約2年間の経験が転機になった。横浜には筒香嘉智(24=現DeNA)らスター選手がいた。平田徹コーチ(33=現横浜監督)についてBチーム(2軍)を見る中で、今までにない喜びを感じた。

 「BでもA(1軍)より練習するやつがたくさんいて、そういう選手がAに上がって代打で打った時とかめちゃくちゃうれしかった。筒香とか名の売れてるやつもいれば、能力があっても埋もれるやつもいます。そういう子が活躍できる場所がなきゃって。そしたら、公立校から甲子園かなと思いました」。自身も高校時代に2度心労で倒れ、下級生に正捕手を奪われた過去があった。猛勉強し、教師になることを決意した。

 就任初日に集まった部員は4人だった。ロン毛で耳にピアスをし、ローファーでグラウンドに現れた。しかし、打撃投手として毎日約800球を投げ続ける監督を見て、少しずつ様子は変わった。14年春、約2年ぶりの県1勝を飾った。

 今春、久しぶりにロッテ涌井の開幕ゲームを観戦した。「元気をもらいました。僕も頑張らないといけないな、と。初めて3年間見た子たちが最後の夏になるので、一発ここで勝負です」。初戦は7月17日、神奈川工-秀英の勝者と戦う。愛情いっぱいの白山グラウンドで、短髪の64人の部員たちが村田監督と練習に励んでいる。【和田美保】

 ◆村田浩明(むらた・ひろあき)1986年(昭61)7月17日、神奈川県生まれ。横浜では1年春からベンチ入り。甲子園は03年春準優勝、04年夏8強。日体大を経て霧が丘で野球部長を務めた後、13年秋から白山野球部の監督に就任した。家族は夫人と1男。