新体制で4季連続の県王者に輝いた。日本文理が3季連続の同一カードとなった決勝で、三たび中越を3-1で下し、秋は3年連続の優勝を飾った。昨秋から県内公式戦では負けなしの24連勝で、31年指揮を執った大井道夫前監督(75)から引き継いだ鈴木崇新監督(37)は、就任1カ月で頂点に立った。先発のエース新谷晴(2年)が5安打1失点(自責0)、11三振を奪う完投劇でV投手に輝いた。第3代表決定戦では、北越が8-6で新潟明訓を破り、秋は3年ぶり8回目の北信越大会出場を決めた。

 監督に就任して初采配となった秋季大会で、県の頂点まで上り詰めた日本文理・鈴木監督は、優勝後も初々しかった。閉会式で「オレはどこに並んだらいいのか」と言いながら、ベンチ前の佐藤琢哉部長(55)の右隣に並んだ。「選手たちが目的地に行くための補助をしているだけ」。そう話したものの、ゲームプランも大胆だった。

 決勝は、背番号17の小林周右翼手(2年)を2番打者に据えるなど、先発選手を2人入れ替えた。「他の選手にもチャンスはある」という控えメンバーの奮起を促すシグナルだったが「初回に先制点がほしかった」という大きな狙いもあった。小林周は北越との準決勝の8回無死一塁で代打出場。四球を選んで大量5得点にからむなど、今大会は2度の出場回で得点が生まれていた。ラッキーボーイ的な存在を先発に抜てきしたもくろみは、初回無得点で成功しなかったが、決勝で積極的に仕掛けていた。

 先発の新谷投手が1回2死から3回2死まで中越打線を6連続三振に仕留めれば、中越の先発・山本雅樹投手(2年)には3回まで完全ペースで抑えられた。4回の攻撃が始まる前だ。状況打破のために鈴木監督が発した大きな声がベンチに響いた。「打者はストライクを打つ。その基本の確認をした」。そのゲキが効いて4回に先制点。1安打と3四球の押し出しだった。

 夏の甲子園を経験した新谷と鈴木裕太投手(2年)の2本柱は盤石。鈴木監督は「野手が力をつけないと、壁は越えられない」と北信越へ再強化する。「高校生は2週間あればガラッと変わる」。指揮官は選手の能力を信じていた。【涌井幹雄】

 ◆4季連続の県王者 北信越大会が始まった1949年秋以降、4季連続Vは中越が1回(85年春~86年夏=5季連続)、日本文理が3回(05年秋~06年秋、13年夏~14年夏、16年秋~17年秋)の計4回。日本文理は来春、タイ記録の県V5に挑む。