十勝地区で帯広工が清水を13-3の5回コールドで下し、09年以来9年ぶりの北北海道大会進出に王手をかけた。春の地区初戦前の試合前練習で攻守の要、米森幹人(かんと)三塁手(3年)が左手首と左膝を骨折。「米森を甲子園に連れて行こう」を合言葉に、この日は11安打13点を挙げ大勝した。夢半ばであきらめざるをえなかった仲間のために、まず北大会切符をつかみ、81年以来37年ぶりの聖地を目指す。

 グラウンドに立てない仲間のために夢中で走った。5回2死二塁、帯広工7番内田冬貴(3年)の右前打で、二塁走者の沢田遥斗(3年)は、一気に本塁へ滑り込んだ。「決められるときに決めたかった。1つのプレーでやれることを全力でこなしたかった」。4番の激走で5回コールド勝ちが決まった。

 5月の春の地区初戦前、チームは悲劇に見舞われた。守備練習で飛球を捕りにいった米森と、安岡惇広(3年)が激突。米森は救急車で搬送された。左手首と左膝の骨折。全治4カ月以上の診断だった。3番を打つ主軸を突然失い、春は地区代表決定戦で白樺学園に0-7と大敗した。その試合で無安打に終わった沢田は、音更鈴蘭小からのチームメート。「申し訳ない気持ちだった。米森のためにも夏は絶対、途中で負けるわけにはいかない」。強い覚悟を胸に、夏に臨んでいた。

 ベンチ脇の車いす席には、帯広市内の病院に入院中の米森が、外出許可をもらい応援に駆けつけていた。試合前には「いつも通りやればお前らなら絶対に勝てる」とエールが送られた。戦いたくても試合に出られない仲間の思いを背負い、全員が全力で打って走って点を取りに行った結果が、5長打を絡めた13点につながった。

 病室にはチームメートが交代で見舞いに訪れている。退院日は決まっておらず、甲子園出場を決めても、復帰はできない。不運にも終わってしまった仲間の夏。沢田は「米森を甲子園に連れて行かなきゃ」。1つずつ目の前の勝利を積み重ね、託された夢を、確実に引き寄せる。【永野高輔】