2018年夏、全国高校野球選手権大会(甲子園)が100回大会を迎えます。これまで数多くの名勝負が繰り広げられてきました。その夏の名勝負を当時の紙面とともに振り返ります。

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<第65回全国高校野球選手権:PL学園7-0池田>◇1983年8月20日◇準決勝 

 1年生が大金星だ。強打池田を5安打完封したのはPL学園の1年生エース桑田だった。史上最年少の15歳には怖いものなど何もなかった。

 「カキーン、カキーンとすごい音だった」。桑田は初回2死から江上、水野に連打されたが、それは単に「すごい音」でしかなかった。甲子園で対決した投手だれもが震えあがった「山びこ打線」への恐怖感も「僕はまだ1年生。打たれてもともと」の気楽な気持ちで消し去った。

 それどころか、打席に立った2回には「一発狙ってやれ」と、水野に大ショックを与える追い打ち2ランを左翼席に弾丸ライナーでたたき込んだ。文字通り投げて、打っての大殊勲でPL決勝進出の立役者になった。池田打線対策は「雑誌をペラペラめくったくらい」だった。前日(19日)の準々決勝の高知商戦では投球の際、地面に右手を突っ込み、中指と薬指を軽く突き指していた。だが、投げるときの痛みも、ホームランを打ったときのしびれ、こみあげてくる快感で「知らないうちに忘れていた」のだ。大量点をバックに、1年生は低め、低めに玉を集めて池田をかわす。怖いもの知らずで投げ続け、5万8000人の大観衆のどよめきの中、とうとう最強チームを食ってしまった。

 「みんな池田の亡霊におびえていたんだ。でもボクにとってはイ・ケ・ダの3文字に過ぎなかった」。試合後、ケロッとして言ったものだ。

 この強心臓ぶりも同僚から見れば日常茶飯事。前日の池田-中京戦をナインは甲子園へ向かう車中で聴いていた。だが桑田は気持ち良さそうに居眠りだ。「桑田起きろ。池田がまた勝ったぞ」。先輩の声に桑田は大あくびで答えた。前夜も同部屋の3年生藤本の心配をよそに、消灯直後の午後9時半には大いびき。「大物やで、こいつは」という藤本の方が興奮で眠れなかった。

 PLは53年以来4度目の決勝進出。桑田は「決勝戦も無心でやります。水野さんの次に(横浜商)三浦さんと投げ合えるなんて最高ですよ。力いっぱい投げます」と気合いが入った。驚異の1年生には計り知れない可能性が秘められているのだ。

 

※記録と表記などは当時のもの