浦和学院に完封負けを喫した二松学舎大付(東東京)の「背番号15」市原快内野手(3年)は「監督さんを日本一にできなかった」と悔やんだ。

 快の父・靖志さんは、市原勝人監督の弟で、市原監督は快の叔父にあたる。靖志さんも二松学舎大付、中大、日産自動車野球部でプレーをした。快が小さい頃から、よく父と一緒に二松学舎大付の応援に行っていたという。「小さい頃は、よく叔父さん(市原監督)の家に遊びに行って、素振りを見てもらったりキャッチボールをしてもらいました。ここ(二松学舎大付)で野球をやりたい。叔父さんと一緒に野球をしたいと、思っていました」。

 憧れの叔父さんと一緒に踏んだ甲子園の地。8回裏には、守備固めで遊撃のポジションに着き、遊直をさばき、アウトに捕り9回の攻撃につなげたが、追いつくことはできなかった。

 「入学した時、特別扱いはしないぞ、言われた。怒られることもあったけど、ここで監督さんと一緒に野球をしてたくさんのことを学ぶことができた。充実した日々でした」と、振り返った。