天まで届いた。2点を追う3回1死走者なし。関東第一・平泉のバックスクリーンへの1発は、高く、高く、飛んだ。「甲子園でホームランが夢でした。初戦で実現できて、うれしいです」と頬をゆるめた。カウント3-0だったが「4番の自分が打てば流れが来る」と迷いなく、高め130キロ直球を振った。言葉通り、ソロから4得点。4回には適時三塁打も放った。

「軌道が似てたかな」とつぶやいた。捕手で出た親子混合試合で、父克則さんに左翼へ放り込まれたことがある。「トレーニングしてるから打てたんだ」と練習が大事と教わった。バッティングセンターにも付き合ってくれた。当たり前の毎日が急変したのは、小学4年生の時。克則さんが亡くなった。42歳。心筋梗塞だった。「急すぎて信じられませんでした」。心が追いつかなかった。

野球が支えてくれた。克則さんの写真を手に応援した母貴子さん(54)は「私の前では涙は見せませんでした。『野球があるから大丈夫』と」。近所のフリーマーケットで克則さんに買ってもらったおもちゃのバットが始まり。あの日から数え切れないほど振って、結実した1発。「ボールはお母さんにあげます。目の前で見せたかった」。夢をかなえたひと振りが勝利へつながった。【古川真弥】