14年前の夏、マー君に心理戦を仕掛けた球児がいた。東洋大姫路(兵庫)の主砲、林崎遼さん(31)は06年夏の準々決勝・駒大苫小牧(南北海道)戦を前に、世代最強投手の現ヤンキース田中将大投手(31)に宣戦布告。実際、初回にいきなり2ランを放ち、当時夏甲子園3連覇を目指して公式戦46連勝中だった絶対的王者を追い詰めた。その裏側に隠されていた捨て身の作戦とは…。

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あの夏、最上級生となっていた駒大苫小牧・田中が甲子園で唯一許したアーチだった。

準々決勝の1回表1死二塁。東洋大姫路の3番林崎さんはその初球、内角直球を狙い打った。逆風を押し切っての左越え2ラン。世代最強投手の出ばなをくじいた1発には、今だから明かせる裏話があった。

試合数日前、テレビ局の取材で「田中くんを打てるか」と問われて「問題ないと思います」と返した。相手は体調不良もあって万全でなかったとはいえ、夏の甲子園3連覇を目指して公式戦46連勝中だった王者のエース。周囲を驚かせた強気な発言には意図があった。

「スライダーがすごすぎて打てる気がしなかった。だから、どうしても直球を投げてもらいたくて…。自分の言葉が相手に伝われば、真っ向勝負してくれるかなと思ったんです」

コメントが田中に伝わったかどうかは定かでないが、もくろみ通り、1打席目の初球に直球は来た。

捨て身の作戦が功を奏し、勢いづいた東洋大姫路は5回終了時点で4-0とリードを奪って王者を焦らせた。最終スコアは4-5。最後の夏、惜敗にも充実感があふれた。

東洋大を経て、10年ドラフト5位で西武入団。プロでは楽天在籍時の田中が調整登板した2軍戦で1度だけ対戦した。「いい当たりは打てたけど抑えられました。楽しかったな」。15年シーズン限りで現役を引退。独立リーグのチームや社会人のチームから声がかかったが、もう後悔はなかった。

16年2月からは西武時代の先輩、G・G・佐藤こと佐藤隆彦さん(41)との縁もあり、佐藤さんの父が社長を務める株式会社トラバースに入社。千葉を拠点に作業着で地盤改良の業務に就き、同社の軟式野球チームでは4番を張っている。

田中は今、海の向こうの超名門で輝きを放っている。ツインズ前田、巨人坂本ら同学年メンバーも活躍を続けている。

「投手だったら投げられなくなるまで野球を続けてほしいなって、勝手に応援させてもらっています」

ちなみに、高校3年夏に成功させた作戦には後日談がある。林崎さんは日米高校親善野球の選抜チームで田中と同僚に。仲間から宣戦布告発言についていじられ、爆笑する田中に「いや、あれは前後のコメントを編集でカットされてな…」と必死で弁明したそうだ。【佐井陽介】

◆林崎遼(はやしざき・りょう)1988年(昭63)6月12日、兵庫県生まれ。東洋大姫路3年夏の甲子園は3番遊撃で準々決勝進出。東洋大を経て10年ドラフト5位で西武入団。左肩手術の影響で14年オフに育成契約。15年6月に支配下再登録されたが、同年限りで現役引退した。プロ通算55試合出場で打率2割3厘、0本塁打。家族は妻と1女。175センチ、90キロ。右投げ右打ち。