和泉総合の珍しい左利き捕手の高野(こうの)巧(3年)が、中学時代から愛用する軟式用ミットで奮闘した。

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和泉総合の本塁を守り抜いたのは左利きの高野だった。甲子園でも20年前の00年夏に那覇(沖縄)の長嶺勇也捕手が話題になって以降は見あたらない。部員11人だが、急造ではなく中1から捕手を続ける本職だ。

盗塁阻止をする場面はなかったが、大量10失点をした3回も舞い上がらず冷静だった。2死二塁、6番打者への2球目の暴投がネット裏まで転がった。「(二塁走者が)三塁から本塁へまわって来ると思ったんで、それなりの速さで捕りにいきました」。わざとゆっくりめに走ってエサをまいて、ベースカバーに入った山本貴投手(3年)にストライク返球しタッチアウト。なかなか3つめのアウトが取れない中、機転を利かした。

右手にはめるミットは中学時代から愛用する軟式用だ。「(グリースを塗って)堅くして使ってました」。富秋中1年の時、練習でたまたま捕手に入ったところ当時の監督で現在は信太中勤務の古宮弘典教諭(33)が「肩も強いし右、左関係なく適任だった」とコンバートを決断。2日後には部費で右用の1・5倍の値段という左用のミットを買ってきた。和泉総合では野球から離れていたが、1年冬に誘われ入部。再び捕手となり1度中学に返したミットを借りた。昨年は8年ぶりの単独チーム出場。この日は5回コールド負けも最後までマスクをかぶった。「捕手は楽しい。高校で野球をするとは思わなかった。やってよかった。このミットはまた中学に返します」。部員11人全員が出場したラストゲームを終えた高野の目に涙はなかった。【石橋隆雄】