“前田マジック”で優勝だ! 全国高校野球選手権の代替となる都道府県独自の大会が8日、全国最後に埼玉が開幕するなど各地で行われ、東東京は帝京が関東第一に延長11回の末、逆転勝ち。前田三夫監督(71)は準決勝に続き、終盤に同点スクイズを遂行した。加田拓哉主将(3年)を中心に強い帝京が復活。甲子園こそないが、9年ぶりに夏の東東京で頂点に立った。10日に西東京優勝の東海大菅生との東西決戦に臨む。

同日には、今春センバツ出場32校による甲子園交流試合も開幕。夏の高校野球、真っ盛りだ。

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左翼上空への新垣の打球を、前田監督は「いい当たりだが風がある。どうだろう」と冷静に見ていた。2-2の11回1死一、二塁。一塁走者の加田も目で追いながら「越えろ!」。逆風を切り裂き左翼後方へポトリ。9年ぶり優勝を決めるサヨナラ打に、ナインが一斉に飛び出した。

主将・加田から同点劇が生まれた。1点を追う9回1死走者なし。関東第一の左腕エース今村に2球で追い込まれるも粘った。6球目で直球が左太ももを直撃。一塁へ歩きかけたが、よけなかったとボール判定。「痛くなかったです」。コールドスプレーを断り、次の球で四球をもぎとった。

前田監督が動く番だ。次の新垣の初球でエンドラン。広がった三遊間を破る左前打で、加田は三塁へ。機は熟した。打席に向かう武藤に「初球スクイズ」と耳打ち。「投手は力投派。外すことはない」と読み切った。武藤は初球を転がし、加田が生還。準決勝の東亜学園戦も、1点を追う8回に同点スクイズを敢行した。当然、警戒される。だから、加田は「スタートを遅らせました」とリリースの瞬間まで我慢した。

「ザ・高校野球」ともいえるスクイズを多用。「強打の帝京」とは異なるが、コロナ禍による打ち込み不足を受け入れたからだ。指揮官の意図を主将がくむ絆がある。1年前は全く違った。Aチームに加田の姿はなかった。指導を巡り衝突。反発した加田を、前田監督は干した。だが、新チームづくりが進まない。「芯のあるヤツが必要でした。加田の気持ちの強さは感じてました」。同期の小松と、帝京史上初めて大阪から入学。親元を離れて来た気概を評価もしていた。転機は8月末の長野遠征。Aチームの練習試合に加田を呼び、聞いた。「野球、やりたいか?」「はい。試合、出たいです」「じゃあ、キャプテンやれ」。

突然の主将任命。加田は驚いた。「絶対やりたくなかった。困りました」。最後は、試合したい思いが上回った。周りは伝統の縦じまユニホームの中、1人だけ白い練習着で参加した。すると、代打で中堅に1発。鮮烈な復帰弾だった。

前田監督は「やんちゃな部分もあるけど、キャプテンとして非常にいい動きをしてくれた」と目を細める。仲間のミスを厳しく指摘できる姿勢を買った。コロナ自粛明け。甲子園中止で士気が上がらない時期、あえて全員の前で「お前のチームだろ。しっかりしろ」と尻をたたいた。加田は「自分が気落ちしてたらダメだ」。そこから、チームは上昇に向かった。

上京当初、東京言葉に戸惑った主将は、関西イントネーションで言った。「キャプテンをやらせてもらい、監督にはすごく感謝してます」。エンドランなど徹底できたことを褒められた。「秋以来ですね。褒められるのは」と頬を緩めた。優勝しても甲子園はないが、強い帝京を復活させた事実は変わらない。あと1戦。「うちのペースで」(前田監督)。「自分たちの野球を」(加田)。東西決戦に臨む決意は、師弟とも同じだ。【古川真弥】

▽帝京・新垣照博捕手(11回にサヨナラ二塁打) 監督さんに最後の恩返しをと、優勝を目標にやってきました。東西決戦でも勝って、監督さんを東京一の男にしたい。

○…大会前、加田に20歳になった自分宛ての手紙を書いてもらった。「ちゃんと逃げずにやってレギュラーとれてる?」。真意はこうだ。「もともと、そこまで真面目な方じゃないんで。大学でも野球に飽きる人が結構多いと聞きました。逃げずにやれてるように」と自らへの戒めを書いた。前田監督は「自分の性格を分かってますね」と優しくほほ笑んだ。