北海が知内を6-0で下し、準優勝した14年以来6年ぶりの決勝に進出した。0-0の5回1死一、二塁で、つなぎ役の2番大津綾也捕手(2年)が先制の中前適時打を放って口火を切り、この回、一挙4点を挙げた。旭川実は武修館を10-1の7回コールドで下し、17年以来3年ぶりの決勝進出。11日の決勝は札幌円山で、北海が10年ぶり、旭川実が初優勝をかけ対戦する。

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変幻自在の万能2番が、しっかり役目を果たした。5回1死一、二塁、大津は、バットを短く持って真ん中低めの変化球をとらえると、打球は中前に落ち二塁走者の小原海月(1年)が先制の生還を果たした。「次につなごうという気持ちだけ」。1、3回は2打席連続で送りバントを成功。3度目の打席は自ら打って、貴重な先制点を引き出した。

職人のように忠実に使命を遂行してきた。2回戦の旭川大高戦は打点0も5打数4安打でチャンスメーカーとなり、準々決勝の札幌日大戦は無安打も3犠打でお膳立て。「得点圏に走者を進め、得点圏にいたらかえすのが役目」。全道4試合で11打数7安打2打点の打率6割3分6厘、2番打者として5犠打と、送っても打っても結果を残した。

悔しい思いが、1球にかける集中力を磨くきっかけになった。今夏の南北海道大会準々決勝の札幌大谷戦は、延長10回タイブレークで、自身の捕逸でサヨナラ負けを喫した。「僕のせいで負けた。あんな思いはもう絶対にしたくない」。以降、毎日居残りで捕球の練習を繰り返し、今秋は下宿の壁に張った敗戦時の新聞記事を毎試合前に読んで、気持ちを高ぶらせてきた。

入学時は遊撃手も1年秋に一時捕手に転向。今夏から再び内野手から捕手に戻った。捕手のキャリアは浅いが平川敦監督(49)は「まだ成長過程だが、木村の球を受け、止められる」と言う。元遊撃手としての身のこなしと送球の安定感に加え、屈辱をバネにできるタフな精神力。最速145キロのエース左腕を生かせる最善の“相棒”と判断した。

せたな北桧山中1年時の16年夏、北海の甲子園準優勝メンバーで中学の先輩、三浦琢斗(北海学園大4年)が帰省した際、首に銀メダルをかけてもらった。「あれが北海に行く決め手。僕も甲子園で野球がしたい」。あと1勝。最後のワンプレーまで、気は緩めない。【永野高輔】

○…北海の左腕エース木村大成(2年)が、9回3安打10奪三振で完封した。「捕手の大津がいいところで打ってくれたので気持ちが入った」と女房役の援護に感謝した。この日の投球数は109球で、今大会初登板し降雨ノーゲームになった6日の旭川大高戦も含め、4試合計310球。1週間500球の球数制限まで190球あり、決勝もほぼ気にせずに投げられる。「次も特別なことを考えずに勝ちにいきたい」と意気込んだ。