春季県大会4強の新潟は、チーム力を充実させて初の甲子園を狙う。春の4回戦・十日町戦で左手橈骨(とうこつ)を骨折した主将の佐藤育遊撃手(3年)が6月20日から練習に復帰。強力なリーダーの復活でチームの士気も高まる。2回戦(14日)からの登場で、新発田商-新潟青陵の勝者が最初の相手だ。

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選手の力を1つの束にまとめるリーダーがグラウンドに戻ってきた。後藤桂太監督(54)が「グラウンドに居ると居ないとではチームが変わる。ベンチではひと言、二言の指示で次にやるべきことを決める」と頼りにするのが佐藤育主将だ。故障を乗り越え、夏に間に合った。「夏は優勝して甲子園に行かない限り意味はない」。4強の春は準々決勝以降、戦列を離れただけに言葉は重い。

佐藤育が左手の橈骨(とうこつ)骨折に見舞われたのは5月8日。春の4回戦・十日町戦の7回に二ゴロを打って、相手一塁手と接触。体勢を崩して転倒し、無理な形で左手を地面につけた。以降、ベンチには入ったが「声を出すだけで力になり切れなかった。早く復帰したいと思った」。

早期回復のために「いいと言われていることは何でもやった」。超音波治療、酸素カプセル。リハビリに通う時間ギリギリまで練習にも顔を出した。「参加できないのは歯がゆかった」の思いを抑え、主将としてナインを鼓舞した。

「信頼と信用」-。普段の練習、私生活から模範を示し、ナインの信頼と信用を得てきた。「それがないと指示に説得力が出ない」。後藤監督が赴任した14年に佐藤育の兄希(のぞむ)さん(北大-都庁)が入学し、3年の夏は3回戦敗退だった。当時から「ここで野球をしたい」と望んできた佐藤育の集大成の夏が始まる。【涌井幹雄】

◆佐藤育(さとう・いくむ)2003年(平15)9月29日、燕市生まれ。吉田中卒。野球は吉田南小2年から南小スターズで始める。高校では1年秋から二塁手でスタメン。2年秋から遊撃手に転向。今春は故障するまで3番を打った。右投げ左打ち。170センチ、66キロ。血液型A。