興国は「西の横綱」を相手に最後まで逃げなかった。3-3の同点に追い付いた直後の9回。2死三塁のピンチを迎えた。大阪桐蔭の打者は準決勝まで6試合で13打点と好調の3番・池田陵真内野手(3年)だった。申告敬遠の選択肢もあったが、真っ向勝負を挑んだ。試合後、喜多隆志監督(41)がそのわけを明かした。

「引くということはこのチームはやめようと言っていた。攻めていこうという話をしていた。もちろん勝負事を考えれば申告敬遠を2つしてとか、いろんな考えがあったが、最後はこのチームの野球を貫こうと思って勝負するぞという指示を出した」

大江遼也投手(3年)と山下健信捕手(3年)のバッテリーの腹も決まっていた。その1球目。インコースのスライダーを左前に運ばれてゲームセット。最後まで興国野球部の精神を貫いたが、46年ぶりの甲子園切符にはあと1歩及ばなかった。

元ロッテの喜多監督は06年の引退後に教員免許を取得し、母校の智弁和歌山の部長を経て18年夏に興国の監督に就任した。現在の3年生は初めて一から受け持った学年だった。「いろいろ言われ続けてしんどかった子たちやったと思うけど、素直に聞き入れてくれて、良い結果が出たのでやってきたことが間違いじゃなかったんだと証明してくれた。本当に苦しかったと思うのでありがとう、お疲れさんと伝えたいです」。それでも就任4年目で46年ぶりの決勝進出だった。歴史の扉を開けた興国ナインの新たな戦いが始まる。【三宅ひとみ】