春夏通じて甲子園初出場の東明館(佐賀)は、日本航空(山梨)に完封負けを喫し、初戦で姿を消した。

5回までは0-0で粘るも、6回2死一、三塁で重盗を仕掛けられて先制点を献上。8回にも3点を失い、力尽きた。プロ注目で主将の加藤晴空(そら)捕手(3年)は「甲子園に行きたいと思ってこの高校に入学してきた。甲子園で野球ができ、夢のような場所でした」と涙をぬぐった。

部員10人から始まった。88年の創部から19年まで監督を務めた古賀洋部長(60)は、就任2年目で公式戦初出場。当時は部員10人のうち野球経験者はわずか3人で、残りは初心者だった。練習試合では30失点で負けたこともある。初心者にはボールの握り方から教える日々もあった。

15年に強化指定部に選ばれ、19年から豊福弘太監督(33)がタクトを振った。20年秋は九州大会ベスト8、21年春も九州大会へ出場。地道に実力をつけ、部員62人となって悲願の聖地へ足を踏み入れた。甲子園1勝は来春以降に持ち越したが、豊福監督は「選手たちはよくやってくれました」と、ナインをねぎらった。

8回1死一塁では加藤が2番手でマウンドへ。2者凡退で最終回の攻撃につなげ、主将がチームを鼓舞した。指揮官は「彼と出会えて野球ができたのは指導者として幸せ」と感慨深げに話す。加藤は「もう1回この舞台に戻ってきてもらえるようになってほしい」と、後輩に夢を託した。初出場校として全力を尽くした東明館。胸を張って佐賀に帰る。【只松憲】

▽東明館・今村(先発で8回途中4失点。2年生エース) 佐賀県代表として甲子園に来て試合ができたことに誇りを持ち、胸を張って帰りたい。9回まで投げられるスタミナを持って、甲子園に帰ってきたい。

▽東明館・出田(6回に成沢の中前打で二走からホームを狙うも憤死) センターが肩が強いのは分かっていた。ぎりぎりになると思っていたが、アウトになったのでとても悔しかった。

▽東明館・松本(チーム唯一のマルチ安打)ヒットを貪欲に狙いました。県大会後に自分のスイングを見直して練習してきました。

◆東明館 1988年(昭63)創立の中高一貫私立校。校名は対馬藩田代領の藩校に由来。男女共学で普通科に259人(女子99人)が学ぶ。野球部は創立と同時創部で部員62人(マネジャー1人)。春夏通じて甲子園初出場。主な卒業生はJ1アビスパ福岡DF桑原海人、キングダムの作者で漫画家の原泰久ら。所在地は佐賀県三養基郡基山町宮浦683。黒木忠好校長。

◆佐賀県勢7連敗 東明館が敗れ、佐賀県勢は中止となった昨年を挟み14年から7大会連続初戦敗退。

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