第103回全国高校野球選手権の大会本部は17日、宮崎商の辞退を発表し、オンライン会見を行った。同校から辞退の申し入れがあり、受理した。小倉好正事務局長は「大会に関するガイドラインの中でも、集団感染、個別感染を重要視するとあります。私たちも専門家をまじえて、個別感染か集団感染か議論して、集団感染にあたると代表校に伝えた。その結果、本日、代表校から試合の参加の辞退を申し入れがあったということです」と説明した。

3月のセンバツから出場校の辞退は初めてのケースだ。八田英二会長は「3校感染ということが分かっている。今大会は感染対策ガイドラインを策定し、代表校、大会参加の感染防止に努めているが、宮崎商では集団感染がおき、宿舎、管轄保健所、近隣に、大きなご負担をおかけした。責任を感じ、大変申し訳なく思っています」と謝罪した。

同校については前日16日、選手1人が14日夕方に発熱して、15日に病院でPCR検査を受け、新型コロナウイルス陽性だったと発表されていた。その後、地元保健所の要請を受け、病院で受診した結果、16日朝までに、ほかに選手ら4人の陽性が確認された。チームは15、16日の練習を休んで濃厚接触の判定が出るまで、宿舎の個室で待機する措置を取った。陽性の5人はチーム関係者とは別のフロアの個室で療養していた。

19日の第1試合で智弁和歌山との2回戦が予定されていた。大会直前に涙をのむことになった。

宮崎商は春夏連続5度目の夏の甲子園出場。64年夏のベスト4超えを狙い、初の日本一を目指していた。感染を防ぐため、策を施してきた。航空機と専用バスを使って関西入り。全員が不織布マスクをつけ、宿舎から練習場への移動も専用バスを使った。宿舎は個室で、ロビーを出入りするたびに検温と手指の入念な消毒を行い、体調を確認。食事はビュッフェスタイルを避けて個別の配膳とし、屋内練習場では窓を開放するなど対策を講じていたが、報われなかった。

◆過去の全国大会出場辞退 病気によるケースでは1922年(大11)8月の第8回大会(鳴尾球場)で、新潟商が大会前に棄権を申し出た。部員11人の新潟商は北陸代表となった後、4番を打つエースが食あたりのため40度の発熱。10人でも参加できたが、学校長が「ぶざまな負け方は学校の名誉にかかわる」と判断し、棄権した。北陸準優勝の長岡中を代替校とする案も出たが、選手を電報で呼び集めても間に合う見込みがなく、北陸代表を欠場として大会を開いた。このほか春夏とも不祥事による辞退校はあったが、いずれも代替校が出場。不戦勝、不戦敗の例はない。