18日に開幕する第94回選抜高校野球大会(甲子園)は、成立前の試合を引き継いで翌日以降に再開する「継続試合」が採用される。これまで数々のドラマを生んできた、降雨によるノーゲームやコールドゲーム、日没による引き分け再試合はなくなる。各校の戦い、戦略に変化は生じるのか。堀越3年だった93年夏に8回表無死一塁、降雨コールド(対鹿児島商工)で敗れた経験がある井端弘和氏(U12野球日本代表監督)は、当時を振り返り、「継続試合」へ期待を寄せた。

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堀越ナインがコールドを告げられたのは、3点を追う8回表の中断中、ベンチ裏だった。井端氏はその瞬間のチームメートの様子を鮮明に覚えている。

井端 9回に登板する予定の選手がいたんです。3年最後の夏。一生懸命に肩を作ってスタンバイしていた。終わった瞬間、ぼうぜんとしていました。

誰もが予想していなかった結末。泣き崩れるチームメートを前に、自分も言葉を失った。

井端 最後は「勝敗に関係なくこれまで頑張ってきた選手を」と監督も考えていたはず。雨でそのチャンスを奪われるなんて…かわいそうでしたね。

当日は、朝からどんよりとした曇り空。午後1時41分の試合開始直後には雨が降り出し、3回の2打席目に立ったころには、雨脚は強くなっていた。

井端 僕、打席に入る時、審判に「これ無理でしょう? 見えないですよ」って言ったんです。相手捕手の田村君(現広島スカウト)も「メガネが曇って見えません。ワイパーが必要です」なんて言って笑ったのを覚えています。

急場しのぎので照明が点灯されたが、カクテル光線の中で雨はひときわ強くなり、8回表にこの試合2度目の中断に入った。

井端 スタンドの階段を滝のように雨が流れていて、正直、試合を続けるのは無理だと思っていたので、僕はあきらめがつけやすかったです。でも、他の選手は違う。実際、大学で野球を続ける選手は7人。その他は高校で野球を辞める。彼らにとって甲子園は人生最後の高校野球。相手チームの校歌を聴きながら泣くこともできなかったし、甲子園の土も土砂降りで持って帰ることができませんでしたから。

高校球児にとって最高の思い出になるはずだった甲子園が、雨とともに流されていった。

この年の夏は記録的な大雨で、堀越は状況を想定して雨中練習も実施していた。

井端 守備では強く踏み込まずに滑るように前に出る。ボールが滑ることもなかった。雨はみんな好きで、自信はありました。だからこそ、あと2イニング、戦いたかったですね。

今でもチームメートとは定期的に集まり酒を交わし、甲子園の思い出に花を咲かす。

井端 「僕らは試合には負けてない。雨に負けた」って言ってます。9回ゲームセットを整列して聞いていないから「まだ負けてない。ルールに負けただけだ」ってね(笑い)。

ルール改正により当時を思い出し、球児たちにメッセージを残した。

井端 9回までいって勝敗を決めることで、選手は納得しますから。「継続試合」導入はいいと思います。何が起こるか分からないのが野球。ゲームセットの瞬間まであきらめずに一生懸命戦ってほしいですね。【取材・構成=保坂淑子】

◆93年堀越のコールドゲーム 夏の2回戦で鹿児島商工に8回表無死、降雨コールドゲームにより0-3で敗れた。7回表にランニング本塁打で3点目を失い、大会規定の7回を終えていたため試合成立。先発したエース平山和典(3年)は「最後までやりたかったのに」と、目を真っ赤にして話した。井端は1番・遊撃手で出場し、投ゴ、遊ゴ、四球だった

◆継続試合 天候不良などで試合が中断された場合、イニングに関係なく翌日以降に中断された場面から再開し、9回もしくは勝敗が決するまで行う。センバツと夏の甲子園で採用する。都道府県大会は実情に応じて、各連盟ごとに採用できる。2月の日本高野連の理事会で決定した。

◆井端弘和(いばた・ひろかず)1975年(昭50)5月12日生まれ。神奈川県出身。堀越(東京)では高校2年春、3年夏に甲子園出場。亜大を経て97年ドラフト5位で中日入団。遊撃でゴールデングラブ賞7度、ベストナイン5度。13年オフ、巨人に移籍し15年現役引退。巨人、侍ジャパンのコーチを務めた後、20年からはNTT東日本のコーチ、22年からU-12野球日本代表監督。173センチ、73キロ。右投げ右打ち。

 

○…鹿児島商工(現樟南)の当時の2年生エース・福岡真一郎氏は「僕らはリードしていたので、正直コールドでも勝利できて安心した」と振り返る。だが続く3回戦(対常総学院)は、4-0で勝っていたところで雨天ノーゲームとなり、翌日の再試合で敗れた。「継続試合で投手の連投の酷使も防げる。何より子どもたちが納得ができれば」と期待していた。

 

◆甲子園のノーゲームやコールドゲーム 昨夏の全国選手権大会では、帯広農-ノースアジア大明桜(4回裏終了)、日大東北-近江(5回裏2死)がノーゲームに、大阪桐蔭7-4東海大菅生は8回表1死でコールドゲームになった。いずれも降雨のため。夏の大会だけでノーゲームは20度、降雨コールドゲームは8度ある。03年夏には駒大苫小牧が倉敷工戦で8-0と大量リードしたが、4回途中で降雨ノーゲームに。翌日の再試合では2-5で敗れる無情の結果となった。ノーゲームでは09年の木下拓哉(高知=現中日)らが記録に残らない「幻の本塁打」を打っている。

▽広陵・中井哲之監督 今までは雨で泣かされたりしたが、健康面や子どもたちの体のことを考えると当然の決断。変なドラマがなくなると言うか、危険性も無くなる。

▽市和歌山・半田真一監督 大賛成。仕切り直しよりも、続きでやるのがありがたいこと。雨が心配で判断に迷うことがこれからなくなってくる。

▽和歌山東・米原寿秀監督 子どもたちにとってはいいこと。(悪天候で)無理に試合をしなくていい。