38年ぶりの白星とはならなかった。日大三島(静岡)は0-4で金光大阪に敗れ、初戦敗退となった。エース松永陽登(はると、3年)は初回の立ち上がりを狙われ、3失点。その後は立て直すも、反撃の糸口は見いだせなかった。報徳学園(兵庫)を率いて春夏通算18度甲子園に出場した永田裕治監督(58)が一昨年4月に就任し、チームは急成長。勝てなかったが、聖地・甲子園でも名将が掲げる「全員野球」を貫いた。

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1989年夏以来の甲子園で、日大三島は勝利後の校歌を歌うことができなかった。それでも、試合後の選手たちに涙はなかった。堂々と戦った末の完封負け。永田監督は「負けたのは指導者の責任。選手は頑張ってくれた」とねぎらった。

初回が全てだった。エース松永は「自分の実力不足だった」。相手の2番打者に初安打を許すと、2四球と暴投なども絡み、3失点。直球主体の投球を狙われた。その後は立て直し、2回以降は被安打3の快投。「初回に抑えていれば」と悔やんだが、8回98球で6安打。打たせて取る本来の実力を出し切った。

チームの成長ぶりを示した。百戦錬磨の永田監督が掲げるチーム作りのテーマは「全員野球」。普段の練習では主力と控えが同じメニューをこなしながら、団結力を強めた。1人に頼らず、全員で戦う。その姿勢は甲子園でも貫いた。この日も代打5人を含む、計14人が出場。4回から途中出場の加藤大登(ひろと)主将(3年)は「ベンチでも全員で声を出せていた」と胸を張った。

一丸で戦った。だが、全国大会の壁は厚かった。入念に準備してきた相手エースの攻略法は実らず、打線は散発4安打で長打はゼロ。独特の雰囲気が漂う甲子園で、平常心を保つ難しさも体感した。加藤主将は「甲子園で自分たちが何をするべきかが分かった。練習から意識して取り組みたい」。持ち越しとなった38年ぶりの甲子園での白星は、夏の大会で成し遂げる。【神谷亮磨】

○…応援に駆けつけた日大三島の生徒たちも、38年ぶりのセンバツを楽しんだ。チアダンス部長を務める小野日花里さん(3年)は「このような舞台で踊れるのは、最初で最後かもしれない。この場所に連れてきてくれたことを感謝したい」と笑顔で話した。24日には全国大会を控えているため、野球応援の参加を部員全員で話し合った。「野球部の皆さんを応援したかった。中途半端はいやなので、どちらも頑張ろうと決めました」。全国大会とは内容が異なる応援にも全力で取り組み、アルプス席からエールを送った。

○…三島市内の日大三島高体育館では、金光大阪戦のパブリックビューイングが行われた。在校生、保護者、教員含め約100人が集まった。声を出しての応援は禁止。一定の座席間隔を空け、感染予防に努めながら熱戦を見守った。300インチの大型スクリーンに映る選手たちに向け、棒状の風船をたたいた。試合は完敗だったが、終了後には選手の健闘をたたえ、風船をたたく音を響かせた。生徒会の中西一颯(いぶき)副会長(3年)は「4点取られて悔しかったけど、5回の攻撃は見応えがあった」と振り返った。井上雅晴教頭(63)は「後半に粘ったが、残念。夏の甲子園での勝利に向け、選手たちは頑張ってほしい」と願った。