<シン・うるうるマン:北見緑陵・酒井大海中堅手(3年)>

父ともっと野球がやりたかった。4点差をつけられた9回1死一塁から左前打で出塁。それまで4打席凡退で「後輩が塁に出てくれた。何としても後ろの後輩につなぎたかった」。意地の一打で出塁し、5点目の生還を果たしたが、追いつくことはできなかった。

高校野球の指導者をしている父昭彦監督(55)の勧めで野球を始めた。小3時、通っていた北見大正小にチームがなく、北見緑小中心の「北見グリーンジャガーズ」に入った。「本当は友達がいたサッカー少年団に入りたかった。最初は野球が嫌だった。始めたのは父に連れていかれたから、ですね」と振り返った。

頑張って続けたが「中学まで、父は高校野球の指導で忙しくて、ほとんど僕の試合を見にきてくれなかった」。見てほしいという思いもあり北見緑陵に進学。1年秋から試合に出始めるも、最初はミスばかりで帰宅後、こっぴどくしかられた。「監督の子だから出ていると思われたくなくて」人一倍練習した。100メートル11秒台の俊足を生かし、1番中堅手として春夏連続道大会出場に貢献した。「悔いはないですが、父に、もう少しいい結果を届けたかった」と涙がこぼれた。

将来は「高校野球の指導者に、憧れはあります」。父に学んだ厳しさと情熱を、次代の球児に受け継いでいく。【永野高輔】

●北見緑陵・酒井監督 うちの子も他の子も私にとってはみんな一緒。今の3年生は弱い世代だったが、昭和63年(88年)以来の春夏連続道大会出場。負けたのは悔しいですけど、よくここまで頑張ってくれた。