全国制覇した19年夏以来の聖地を目指す履正社は初戦の2回戦を7回コールドで発進した。

試合を決めたのは春から4番を務める橘高純平内野手(3年)。6-1となりなお1死三塁の打席で右中間へ特大の“サヨナラ”2ラン。7回コールド勝ちを決めた。自身通算15号は公式戦での初アーチ。「打った瞬間手応えは良かった。ただ、万博は広いのでどうかなと思いながら走っていた。入って良かった」。試合を決めた1発に三塁側に詰めかけた多くの履正社ファンも拍手喝采で称賛した。

春の悔しさが主砲の原動力だ。春季大阪大会の決勝で大阪桐蔭と戦ったが2-3で惜敗した。得点機での凡退を含む3三振と結果を出せなかった。「春は結果を出せなくて悔しかった」と悩み、電話を手に取った。通話相手は昨季の4番で前主将の松林克真。「今でも困ったときは電話する」と慕う先輩に教えを請うた。数十分の会話で思考は一変。「春は『4番だから結果を』と力んでいたが、今は4番を打たせてもらっているが、自分の打撃に集中している」。考え方を改めた。

1-1の1回1死三塁では中犠飛で勝ち越しに成功。初回に先制されたが「焦りはなかった。自分たちの野球をすれば勝てると信じていたから」。

激戦区大阪を勝ち抜くにあたって、切っても切れない宿敵がセンバツ王者の大阪桐蔭だ。今春から指揮を執る多田晃監督(42)は常々ナインに「大阪桐蔭を倒すぞ」と言葉にしてきた。「言うことによって改めて士気を高めてきた」。橘高自身も「秋も春も大阪桐蔭に負けて悔しい思いをした。目標は日本一。大阪大会は通過点なので(大阪桐蔭にも)勝たないといけない」とライバル心を激しく燃やす。

19年夏以来の甲子園へ。主砲橘高の勝負強さが、行方を左右する。【前山慎治】

 

◆橘高純平(きったか・じゅんぺい) 2004年(平16)12月3日奈良県河合町生まれ。河合第二小1年時に「河合フレンズ」で野球を始める。河合第二中では「奈良ボーイズ」に所属。現ヤクルト寺島成輝が履正社で16年夏に甲子園出場し、同校へ憧れを抱く。理想とする選手はヤクルト村上宗隆。高校通算15発。右投げ左打ち。188センチ、94キロ。

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