鹿児島大会決勝は、ノーシードから勝ち上がった鹿児島実が大島に3-2で競り勝ち、4年ぶり20度目の全国切符をつかんだ。20度はライバル樟南と並んで県内最多。昨夏に左肘を疲労骨折したエース赤崎智哉投手(3年)が2失点(自責0)で完投した。大分大会では明豊が大分舞鶴を12-3で下し、2年連続8度目の甲子園出場を決めた。

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鹿児島実が4年ぶりに頂点を奪回した。最後の打者を打ち取ると、伝統の「鹿実」ユニホームを着たナインが、マウンド付近に集まり指を天に突き上げた。昨秋は2回戦敗退、今春は県8強。結果を残せずノーシードだったが、伝統校には関係ない。大島を下し、県内最多タイとなる20度目の夏の甲子園出場を決めた。

エース左腕の赤崎は、1年分の思いを125球に込めた。昨夏に左肘を疲労骨折。宮下正一監督(49)は「赤崎は今年の夏1本絞り」と、今大会の直前まで温存し続けた。ほぼぶっつけ本番で迎えた7月。この日も気迫の投球で、4安打2失点(自責0)10奪三振の完投だ。「1年間、苦しい思いをしてきた。最後は1個ずつ1個ずつ、全員でアウトを取れた。そして甲子園で、投げられるんだなと」。時にはベンチ裏で「投げたい。投げたい。投げたい」と、独り言のように繰り返した。胸に秘めた闘志を左腕に宿らせ、鹿児島制覇に導いた。

5月上旬のゴールデンウイークには、部員の約30人が新型コロナウイルスに感染した。予定していた遠征を急きょ取りやめ、対外試合20試合がなくなった。穴を埋めるべく、平日の学校終わりに隣県校と7イニング×2試合をこなす日々。ナイターゲームで実戦を積んだ。就任18年目の宮下監督も「過去にこんなことはなかった。1試合でも多くやりたかったので」。コロナもノーシードも跳ね返し、伝統校の底力を見せた。

決勝前日には、5枚刃のカミソリで部員全員が頭をそり上げた。熱く、泥臭く、気合十分の高校生らしく。指揮官が「それは古いと言われようが、鹿実らしさを貫き通したい」と言えば、赤崎も「礼儀やあいさつも含め、甲子園でもしっかり」と話した。センバツでは96年に優勝しているが、夏の甲子園では2度の4強が最高。直近は91年までさかのぼる。幾多の逆境を乗り越え、今年こそ、強い鹿実を取り戻す。【只松憲】

◆鹿児島実 1916年(大5)、私立鹿児島実業中学館として創立。48年から現校名。普通科、文理科、総合学科がある。生徒数は1401人(女子600人)。創部は1918年で、部員数は73人(マネジャー4人)。甲子園は春9度出場し96年に優勝。夏は20度目で74、91年の4強が最高。主な卒業生は元巨人定岡正二、元巨人杉内俊哉、元ソフトバンク本多雄一、元阪神横田慎太郎、サッカー元日本代表の遠藤保仁(磐田)ら。鹿児島市五ケ別府町3591の3。渡辺浩二校長。