<全国高校野球選手権:仙台育英5-4明秀学園日立>◇15日◇3回戦

明秀学園日立(茨城)小久保快栄(かいえい)内野手(3年)は守備につくたび深々と頭を下げ、空を見上げた。「野球ができることへ感謝の気持ちを込めています」。12歳で他界した兄帝我(たいが)さんとともに戦った甲子園に感謝した。

野球一家に育った。ソフトバンク小久保2軍監督を伯父に持ち、父隆也さんは智弁和歌山で2度甲子園出場し青学大、ホンダでプレー。小久保は2つ上の兄の影響で6歳から野球を始めた。その兄は6歳で小児ガンを患ったが、病気と闘いながら野球を続けた。

長い闘病生活だったが、大好きな兄はいつも明るく野球の話をしてくれた。入退院を繰り返す中、家にいる時は一緒に壁当てをしたのが楽しい思い出だ。「兄は自分のやりたいこともできずに亡くなった。きついこともたくさんあるけど、自分は元気で野球ができる。幸せです」。

母通子さん(45)には忘れられない光景がある。帝我さんが病院で亡くなり、その亡きがらとともに帰宅した時だ。小久保は兄の姿を見るや、練習に出かけた。弔いの気持ちを込めた野球。通子さんは「快栄は一緒にプレーをしている気持ちなんでしょう」という。

今春センバツ初戦前夜、小久保はふと兄のことが頭に浮かんだ。「一緒に行けるね」。携帯の待ち受け画面に写る兄の写真に語りかけた。夏も兄とともに全力疾走を貫いた。

兄が最後につけた背番号は「5」。小久保は同じ背番号で甲子園を戦った。2試合で無安打だったが「最後まで兄と一緒でした。本当にやりきりました」。目に涙をためながら、すがすがしい笑顔を見せた。【保坂淑子】