都会の中心で野球愛を叫んだ。日米通算4367安打のイチロー氏(49=マリナーズ球団会長付特別補佐兼インストラクター)が27日、都立新宿高校のグラウンドで、2日続けて同校の野球部員を指導した。高校野球指導は3年目で5校目。強豪校中心だったこれまでから一転、都心の公立進学校を選んだが指導内容は変わらずハイレベル。改めて競技普及への本気度を示した。

新宿のネオンが新鮮だった。「高島屋(の看板)が輝きだした。都会のど真ん中で」。今回イチロー氏が自ら選んだのは都立の進学校・新宿。「わけ分かんないよね? (自分を)知っている? リクエストじゃなくて僕が興味があって来ました」とあいさつした。

他部と共用の狭いグラウンド。バックネットに向かって打つ打撃練習に「都会だー」と声を上げた。「みんなは勉強を頑張っている中、野球が好きな子。グラウンドも限られたスペース。自分たちの野球をやるのが精いっぱい(のはず)なのに、地域の野球の普及活動を熱心にやっている」と訪問の動機を伝えた。

全国屈指の強豪、智弁和歌山にはじまり昨年は巨人ドラフト1位の浅野がいた高松商(香川)で指導。一方で女子野球とも継続して交流するイチロー氏の野球普及への本気度が分かる。

技術レベルが決して高くない学校でも理論レベルを落とすことはない。積極的に質問してくる選手と向き合った。特に打撃理論は熱を帯びた。現役時は投手側となる右足を軸にしてヒットを連発。対照的に重心を後ろに残す打法に取り組む選手に「後ろに残すのであればステップ幅はない方がいい。その方が回りやすい。前に動く、後ろに残すというのは相いれない。僕は結構、動きます」と力説。関連して、早く始動して投球を迎え入れる重要性を強調した。

守備、走塁、野球の気構えなど余すことなく伝え、ノックバットも握った。最後は選手たちに「報告が入るシステムになっているので、みんな、ちゃんとやってよ」と言い残し、2日間を締めた。

「ちゃんと-」は最初の指導となった20年に智弁和歌山で残した言葉。同校は教えを継続、発展させて翌21年夏の甲子園大会を制した。「高校野球は学校によってチームの形、目標設定はさまざま。必ずしも甲子園優勝を目標としている学校ばかりではない。大切なのは『野球が好きで情熱を持っている』こと。今後も野球への情熱を持って頑張っている高校生たちのもとを訪れたい」と宣言した。【柏原誠】

◆新宿 1921年(大10)に創立の都立進学校で、野球部は46年に創部。部員数は17人。甲子園出場はなく、今夏の東東京大会では4回戦で敗退。主なOBは元中日で現東大監督の井手峻氏や音楽家の坂本龍一ら。所在地は東京都新宿区内藤町11の4。藪田憲正校長。

<過去のイチロー氏の高校野球指導> ◆<1>智弁和歌山(20年12月2~4日)初日は「観察」、2日目から徐々に指導を開始し、最終日にはフリー打撃も披露した。21年の甲子園大会前にも「ちゃんと見てるよ」とメッセージを届け、21年夏にチームは21年ぶりの頂点に立った。 ◆<2>国学院久我山(21年11月29、30日)フリー打撃で72スイングし11本の柵越え。三振しない「最後のテクニック」を伝授した。リードの取り方など走塁技術も惜しみなく指導。チームは22年センバツで初の4強進出と快進撃につなげた。 ◆<3>千葉明徳(21年12月2、3日)初めて甲子園出場経験のない高校を訪問。ナインだけでなく指導者にも助言。「(練習は)メリハリが大事。ダラダラが怖い」と話し、試合中の采配についても具体的なアドバイスを送った。今夏は甲子園出場した市船橋に4回戦で敗れた。 ◆<4>高松商(21年12月11、12日)21年夏の甲子園で智弁和歌山に敗れた長尾監督が「イチローさんにうちにも来てほしい」とラブコールを送って指導が実現。翌年巨人にドラフト1位指名される浅野翔吾(巨人)らを前に、狙いを説明しながらフリー打撃を行うなど手本となって技術を伝えた。「この2日間の時間をたまに思い出してほしい」とティー打撃で使用したバットをプレゼント。同校は今夏の甲子園で8強入りした。