これぞ、エースだ。

初優勝した山梨学院の背番号1、林謙吾投手(3年)。決勝戦も、今大会6試合連続で先発し、腕を振った。

甲子園の大舞台で、1球投げるたびに、声援を受けるごとに成長した。制球力を武器に、大会初の6試合に登板して優勝。自身も6戦すべてで勝利投手となり、日本一のエースになった。決勝に向けて「そんなに相手を大きく見ず、意識せず、今まで通り自分たちの野球をやりたいです」と話していた通り、自分の投球を貫いた。

コロナ禍で歩んできた中学、高校生活。やっと、時計が動き始めた。駿台学園中1年の夏の全国大会、現阪神の森木がエースだった高知中と準決勝で対戦した。林は下級生ながら外野手としてスタメン出場したが、延長戦の末に1-2で敗退。優勝への憧れを強く抱いた。

中3の20年、世界を新型コロナが直撃。地区大会から公式戦全勝で圧倒的な強さを誇ったが、目指していた全国大会は中止になり、気持ちのやり場を失った。目指していた日本一に挑戦することさえ、できなかった。母美根子さん(47)は「あの時は、本当に見ていられなかったですね。私たち親は、声も掛けられなかったですね」と振り返る。

閉じこもった部屋から聞こえる「うわ~っ!」という叫び声。誰にもぶつけられない悔しさ。1人で泣いていた。美根子さんは「部屋を出ると気丈に振る舞う。弱音は吐かないタイプ。親の前ではつらさは見せないんです。それがまた、子どもながらに必死だったと思うんです」。

林がずっと胸に抱いていた日本一への憧れ。3年の時を経て、ついに甲子園で実現した。今年のセンバツからは、声出し応援も解禁された。「歓声や応援も、すごいそれが力になった。気負うこともプレッシャーになることもなく、すごい力になったのでありがたいです」。甲子園でプレーできる喜びを、全身で味わった。

◆林謙吾(はやし・けんご)2005年(平17)7月30日、東京都足立区生まれ。舎人スポーツ少年団では投手と内野手を兼ね、12球団ジュニアトーナメントのジャイアンツジュニアに選出。駿台学園中では軟式の全国大会でベスト4。好きな選手はデグロム投手(レンジャーズ)。将来の夢はプロ野球選手。好きな食べ物はハンバーグ。178センチ、81キロ。右投げ右打ち。

▽西武水上(山梨・帝京三出身。山梨県勢初優勝に)「おめでとうございます。山梨が優勝するところを見たかったです。山梨学院は僕たちの時から強かったし、関東大会も優勝しているので不思議じゃないです」

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