仙台育英が27~29日、今年1月の能登半島地震で被災した石川・輪島、飯田の2校を招待。須江航監督(40)と選手の家に両校ナインらがホームステイし、交流を深めた。28日には招待試合を開催。飯田戦に先発した山口廉王(れお)投手(3年)をはじめ仙台育英ナインが、恵まれた環境で野球ができることへの感謝と甲子園出場に向け、気持ちを新たにした3日間となった。

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きっかけは「3・11」だった。東日本大震災が発生した2011年、須江監督は系列の秀光中野球部を指揮、震災発生直後に石川県から招待を受け、合宿が実現した。そして、今年の元日に能登半島地震が発生。須江監督は「(その時の)恩返しがしたい」と輪島、飯田の2校を招き、招待試合と合同練習を行った。試合前、ナインに指揮官は「いろんな“ご縁″があって、ここにいるので、それを大切にしながらワンプレーごとにお互いが高まるような試合にしよう」と呼びかけた。

仙台育英ナインにとっても感慨深い3日間となった。山口投手の自宅には飯田の2選手が宿泊。震災当時や現在の生活について聞いたという。「震災は経験したことはないが、自分のことのように悲しく、心にしみた」と山口。翌日の練習試合では飯田戦に先発し、自宅に宿泊した2選手とも対決した。だが、被災地の現状が頭をよぎり、複雑な気持ちが投球に表れ、初回に3点を失った。それでも、2回は立て直し、3者凡退に-。「いろいろな話を聞いた中で今後、絶対にプレーが変わってくる。恵まれた環境で野球ができていることに感謝していきたい」と心の変化と感謝を口にした。

暗闇に明かりをともす光となる。山口は東京都出身。だが、親の転勤で各地を転々とした。「3・11」発生当時は神奈川県に在住、幼稚園バスの中で大地震に見舞われた。それから“縁”あって宮城に移り住み、同校に入学。チームスローガンの「地域のみなさまと感動を分かち合う」を大切にする山口は「自分のプレーで勇気や笑顔を与えたい。夏は自分たちが甲子園に出場して、感動を分かち合いたい」という思いが、今回の経験でさらに強くなったという。

別れの時が来ても、最後の最後まで言葉を交わすナイン。須江監督は「頑張れよ!」と、力強い言葉で背中を後押しした。新たな縁は、これから先も3校を結び続ける。離れていても心はひとつ。遠く離れた地で高め合い、明るい未来に向けて1歩ずつ歩んでいく。【木村有優】