高崎健康福祉大高崎(群馬)が、春夏通じて初の甲子園優勝を果たした。報徳学園(兵庫)とのセンバツ決勝は1回に2点を先制されるも、逆転勝利。かつて“機動破壊”で注目を浴びたチームは、低反発バットが導入された今大会で強い適時打を重ねるほど進化した。野球愛好会の顧問からスタートした青柳博文監督(51)は涙。群馬県勢はセンバツ初優勝で、競り負けた報徳学園は戦後初の2年連続準優勝に終わった。

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優しい人だ。青柳監督は夢がかなうと、すぐ隣にいた補助員の肩をたたいた。生方野球部長と抱き合い、またメンバー外の部員の肩をたたいた。「仲間とかコーチ、いろんな方々の支援があって。本当に感謝しかないです」。甲子園のお膝元、兵庫・西宮に校舎を構える相手を後押しするような球場の空気に、全員で勝った。

1回に2点先制され、すぐに森山の2点適時二塁打で追いつく。エース佐藤が負傷し、先発は連投の石垣だった。監督は「不利かも」とこぼしたが、その石垣が化けた。8回2失点。「ピンチを楽しんで投げられました」と石垣。最後を締めたエース佐藤は、心技とも強くなったから1点を守り切れた。

青柳監督にとっては、あの頃が懐かしい。01年冬、野球愛好会の顧問になった。会員15人。「あいさつしたら5人やめた。生意気言ったかな。丸刈りの話をしたら今度は3人やめた。練習をボイコットされたり」。創部2年目の夏、試合後に1期生の3年生と泣いた。「お前たち、本当にありがとう。絶対これから野球部を強くしていくから、これからもずっと応援していてくれ」。

誓いを果たそうと色を出した。学生時代は7番打者、盗塁もバントもなし。「それがトラウマでね」。勝つために機動力を選んだ。やがて“機動破壊”が高校球界で話題になる。「機動破壊、機動破壊って言われて、そうしないとまじぃのかな~って。甲子園でも『走れ』って、背中から聞こえる気がして」。雰囲気にのってサインを「盗塁!」に変えてしまったことも今は昔。打てる選手や優秀なコーチが多く集まり、個性重視の方針で機動破壊の先へ行った。

「本当にいろんなOBたちの顔が思い浮かんで、涙が出ました」。感慨深く聞いた「Be Together」の校歌。教え子たちと寄り添って羽ばたいた。夢の時間に、甲子園には7羽のハトが舞っていた。【金子真仁】

◆青柳博文(あおやぎ・ひろふみ)1972年(昭47)6月1日、群馬県吾妻郡東吾妻町出身。前橋商では3年春のセンバツに「4番一塁」で出場し、初戦で新田(愛媛)に敗れた。東北福祉大に進み、3学年上の阪神元監督の金本知憲、同期で現中日コーチの和田一浩らとプレーした。計7年間の会社員生活を経て、02年4月に高崎健康福祉大高崎の監督に就任。11年夏に甲子園に初出場。12年春のセンバツで4強入り。甲子園には春夏で計10回出場し、通算19勝。

 

【センバツ】健大高崎が群馬県勢初の春制覇 報徳学園、2年連続準優勝/詳細