福島第1原発事故で部員不足に陥った相馬農と富岡の部員が、1度はあきらめた夢を、相双連合で追っている。相馬農の八巻健太三塁手(2年)と富岡の中村公平遊撃手(3年)は、特別な思いを背負って野球を続けている。

 八巻の自宅は沿岸の相馬市磯部にあった。津波で堤防が決壊し、街は壊滅。自宅は土台しか残らなかった。家の中には祖母良子さん(享年67)がいた。行方が分からない。八巻は、来る日も来る日もガレキの中を捜し回った。「何とか見つけてください」。出会った自衛隊員にもお願いした。3週間後、自宅から500メートルほど離れた場所で、変わり果てた姿で発見された。

 昨夏。八巻は甲子園決勝を自宅でテレビ観戦していた。「興南の島袋がすげえんだよ」。そう興奮する八巻を、隣にいた良子さんは目を細めて見つめていた。試合の応援にも足を運んでくれた。でも、もう-。遺体が見つかったころ、仲間のほとんどは転校し、相馬農の野球部には自分しか残っていないことも知った。

 追い打ちをかけるように、土木関係の仕事をしていた父隆行さんと旅館で働いていた母英子さんが、震災の影響で職を失った。「アルバイトをして生計を支えてくれ」。そう懇願されて「野球を辞めるしかない」と覚悟した。そんな時、相双連合が結成されるという話が舞い込んだ。「試合に出れば、ばあちゃんも喜んでくれるよね」。必死になって両親を説得した。

 富岡の中村も、夢を奪われかけた。2年前、人工芝グラウンドなど環境が整う同校にあこがれ、郡山市の実家を出て入学した。富岡町内にアパートの部屋を借りて1人暮らし。午前5時には起きて新聞配達し、生活費の足しにしていた。「富高で野球するためなら苦にならなかった」。親元を離れて3年目。最後の夏を前に、学校から約10キロの距離にある原発が爆発した。校舎もグラウンドも、充実していた施設には、もう立ち入れない。

 自分以外の部員は全員、転校を余儀なくされ、野球をあきらめた。自分は相双連合で野球を続けられる。「みんなのために連合でも4番を打つ。富岡でも4番だったから」。仲間の無念と母校の誇りを胸に-。新たな仲間となった八巻や双葉翔陽の部員と力を合わせ、1勝へ突き進む。【木下淳】