<高校野球宮城大会:石巻西5-2岩ケ崎>◇17日◇3回戦◇名取市民

 岩ケ崎が主砲・蒲生和憲三塁手(3年)らの健闘も及ばず、石巻西に敗退。蒲生は東日本大震災で母親を亡くし、大船渡(岩手)から転校してプレーを続け、笑顔で夏の終わりを迎えた。

 夏の終わりに蒲生は屈託なく笑っていた。「今生の別れっていう訳じゃないですから。また集まって、一緒に野球はできる」。蒲生にしか口にできない言葉だった。昨年3月11日、陸前高田にあった自宅が流され、母賀千美さんを亡くした。「高台にある学校にいたから津波も見ていないし、今でも実感がないんです」。市役所に勤める父琢磨さんは仮設住宅へ入り、栗原にある伯母安子さんの家に移った蒲生は、大船渡から岩ケ崎へ転校した。

 転校と同時に野球はやめようと思っていたが、「やっていいぞ」と背中を押してくれた父。野球経験はなくても、幼い頃から必死に教えてくれた。ユニホームにアイロンをかけ、試合のたびに弁当を作ってくれた伯母。そしてこの日、部屋にある母の写真に声をかけて家を出た。「思い切りプレーするから、応援してください」。ヒット2本、打点も挙げた。エラーもあった。スタンドで見守ってくれた2人ともう1人のために、がむしゃらだった。「いいチームメートにも支えられて、最高の夏にできました」。同じ時間帯に試合をした大船渡は岩手8強を決めた。それでも悔いはない。あるのは感謝だけだ。

 兄典道さんの背中を追って始めた野球。大学4年の兄と同じ道を、再び志す。「数学の先生になって、野球も教えたい。甲子園、行けたらいいですね」。理系クラスで数学の成績はいつも5段階評価で5。「野球ばかりしてきたけど、これからしっかり勉強すれば大丈夫だと思います」。最後に、もう1度笑った。【亀山泰宏】

 ◆蒲生和憲(がもう・よしのり)1994年(平6)7月23日、岩手県陸前高田市生まれ。小友小4年の時、小友スポーツ少年団で野球を始める。小友中では遊撃手、投手、捕手を兼任。大船渡では1年秋から背番号5、岩ケ崎では昨春からいきなり4番に座った。特技は水泳で小学6年時に50メートル平泳ぎで県2位。家族は父、姉、兄。184センチ、74キロ。右投げ右打ち。血液型AB。