<高校野球神奈川大会:横浜3-0平塚学園>◇30日◇決勝◇横浜

 渡辺一家の「全国制覇物語」が本編に突入する。春夏5度の優勝を誇る横浜が平塚学園を下し、2年ぶり15度目の出場を決めた。5回に4連打で3点を先制し、左腕伊藤将司投手(2年)が5安打完封。準々決勝で松井裕樹投手(3年)擁する桐光学園を突破した勢いそのままに、190校の激戦区の頂点を勝ち取った。「5番一塁」の渡辺佳明内野手(2年)は渡辺元智監督(68)の孫。「じいじ」と孫が聖地に立つ。

 「優しくやれよ!」「丁寧にな!」。体調を気遣う声が飛び交う中、横浜・渡辺監督はナインの手によって横浜スタジアムで3度宙に舞った。孫がおじいちゃんをおんぶするように優しく…ではなく、力強く高い胴上げに“じいじ”は笑みをこぼした。そんな姿に佳明もはじけるような笑顔で応えた。監督、同監督の次女で寮母を務める佳明の母元美さん(42)の親子3代にとって至福の瞬間でもあった。

 2年生ながら「5番一塁」で主軸を任される佳明が勝利を確信させた。3-0で迎えた7回の守備。1死走者なしで、一塁側ファウルゾーンに打球が上がった。フェンスを越えそうなギリギリの飛球に猛然とダッシュ。フェンスにぶつかりながらもキャッチすると、スタンドからは「いいぞ佳明!」の声援が飛んだ。

 「(渡辺監督と)一緒に甲子園に行きたくて」と話していただけに、悲願の優勝だ。98年に春夏連覇した時は1歳。物心ついたときには、聖地のスタンドから声援を送っていた。「印象にあるのは高浜の兄貴が2年の時(06年センバツ優勝)。自分には手の届かない夢の場所だと思った」と、憧れは自然と横浜への思いに変わった。

 入学を希望すると渡辺監督から「お前の実力じゃユニホームは着られない」と突き放された。中学時代のシニアでは8番。身長も160センチ弱と大きくはなかった。だからこそ最も自信のあった打撃を磨いた。入学前はスポンジボールを打ち、素振りを繰り返した。一般受験で入学。全ては祖父とともに甲子園に出場するためだった。

 1年冬に右ひじを疲労骨折。今も痛み止めを飲み続けている。そんな姿に渡辺監督は「ケガをしながらも頑張る。そういう面は評価している。孫がいるというのが励みになったというのは事実」と目を細める。努力の末につかんだ“じいじ”との甲子園。佳明は「安楽とか注目される投手と対戦したい」と意気込む。親子3代が紡ぐ熱い夏の物語がクライマックスに入った。【島根純】

 ◆主な高校野球の祖父と孫

 「ミスタータイガース」こと元阪神の故藤村富美男氏(呉港中)の一族は親子3代で甲子園出場。孫は海星(三重)と育英(兵庫)で3人が聖地の土を踏んだ。斉藤一之、俊之親子は銚子商(千葉)の監督として甲子園出場。俊之氏の長男、之将(ゆきのぶ)も同校で活躍した。巨人内海は祖父の故五十雄さんが平安中(現龍谷大平安=京都)で甲子園出場。内海は敦賀気比(福井)で3年春のセンバツ出場が決まっていたが、部員の不祥事で出場を辞退した。

 ◆横浜

 1942年(昭17)創立の私立男子校。生徒数1388人。野球部は45年創部。部員112人。甲子園出場は春14度、夏15度目。98年には松坂大輔(現インディアンス)を擁し、史上5校目の春夏連覇を達成。春夏合わせて5度甲子園で優勝。主なOBはロッテ成瀬、西武涌井ら。所在地は横浜市金沢区能見台通り46の1。葛蔵造校長。◆Vへの足跡◆2回戦3-1藤沢清流3回戦6-0小田原4回戦5-2湘南学院5回戦3-2横浜隼人準々決勝3-2桐光学園準決勝7-0東海大相模決勝3-0平塚学園