<センバツ高校野球:広陵5-1中京大中京>◇31日◇準々決勝

 広陵(広島)が名門対決を制し4強進出だ!

 投打がかみ合い中京大中京(愛知)の夏春連覇を阻止する勝利を飾った。難病指定のもやもや病を克服した上野健太投手(3年)の奇跡の復活劇もあった。サクラはすでに6分咲き。7年ぶりの「満開」まであと2勝となり、チーム一丸の広陵が4度目の春優勝へ前進する。

 勝った-。9回裏2死一、二塁。上野は最後の打者を得意のスライダーで二飛に打ち取ると、右こぶしをグラブにたたきつけた。「雰囲気が違った。緊張した」。29日の宮崎工戦で2安打完封の有原は、この日も9回1死まで4安打ゼロ封。打線も初回に3点、終盤にも1点ずつ加点し5得点を挙げた。夢の甲子園初登板の舞台をつくってくれたチームメートに感謝しながら13球を楽しんだ。

 奇跡の復活劇だった。小1の春、突然足が動かなくなった。母百里さん(42)は「筋肉痛かと思い外科に連れて行ったほど」と初期症状を振り返る。翌年、遠征試合でのバス車中で、仲間とはしゃいでいるときに体から力が抜けた。「自分の体じゃない-」。眠るようにして意識を失い、目が覚めても言葉が出てこなかった。

 広島市内の実家近くの病院を訪れると「県内では無理」と言われた。母がインターネットで探した結果、大阪・豊中市の病院にいきついた。祝迫(いわいさこ)担当医からの説明は「10万人に1人の難病です。野球は…厳しいです」。難病指定の「もやもや病」だった。「何で自分が」と悲観にくれた。だが、自分以上に心配してくれる家族の姿を励みに、前を向いた。まだ小学生。輸血面での危険を避けるため小4の7月に右脳を、10月に左脳と2回に分けて手術した。学年を挟んで1年間ほどリハビリに専念した。小6で野球が出来るほどに回復した。

 07年夏準優勝した広陵の勇姿が胸を熱くした。ヤングリーグの仲間4人で甲子園に行った。躍動するエース野村(現明大)を見て「いつか自分も投げたい」と誓った。必死で野球に取り組んだ。中学まで経過報告していた同医師に、センバツ出場を母経由で報告した。「ようがんばったな。都合が合えば行きたい」と喜んでくれた。この日は多忙で同医師は来られなかったが、かけがえのない家族に立派な姿を見せられた。「家族、祖父母、そして支えてくれた人々すべてに感謝したい」。甲子園初マウンドは2/3を3安打1失点と、決して好投ではなかったがチームにも勇気を与えた。中井監督も「上野本来の出来ではなかっただろう。だが、少しでも経験したことは大きい」。復活登板を済ませた上野とともに、春頂点まで負けるわけにはいかない。【佐藤貴洋】