<全国高校野球選手権:報徳学園13-5佐賀学園>◇17日◇3回戦

 涙を見せないのは、最後の意地だった。投打に佐賀学園(佐賀)を引っ張ってきた峰下智弘主将(3年)は、敗者のお立ち台で唇をかみ続けた。震えそうになる声を飲み込む。目を遠くにやり、泣かないようにした。「最後はフルスイングしようと…悔いはないです」。9回2死、高校生活最後の打席は力のない遊飛だった。一塁ベースを回ると天を仰ぎ、真っ青な空を見詰めた。

 心身ともに力尽きた。2回に貝原辰徳捕手(3年)の中犠飛で先制。だが、伝統校の攻めは執拗(しつよう)だった。きわどいボールはファウルされ、甘くなればミートされた。塁上では大きくリードする。機動力で揺さぶられ、球数もけん制も増えた。就任40年目の巨瀬博監督(61)は「報徳さんはしつこかった。峰下も疲れていたのが本音です」。守りのリズムをつくれず、真夏の太陽に体力を奪われた。県大会から8試合目、ずっと1人で投げ続けてきた峰下は、7回からマウンドを譲った。

 小6の時、6歳上の兄充義さんが済美(愛媛)で甲子園に出場した。春は優勝、夏は準優勝。2つのメダルを誇らしげに、兄は「甲子園は人生を変える」と言った。その言葉を胸に、追い続けた夢。スタミナをつけようと、1日30キロを走った。投球フォームを分析し、ひじやひざの使い方を工夫した。3年間の努力が実り、峰下は「大観衆の中でマウンドに立てて楽しかった」。兄貴の言葉は本当だった。

 91年と98年に続き「甲子園8強」の壁にはね返された。「来年に向けて1年ある。もっと練習して、甲子園で自分のプレーができるよう成長してほしい」。燃え尽きた夏。戦い続けた主将は後輩に夢を託し、最後にこっそりとぬれた瞳をぬぐっていた。【近間康隆】