立大の「安打製造器」大城滉二内野手(4年=興南)が、先頭打者本塁打でリーグ史上31人目、立大では5人目となる通算100安打を達成した。初回に左翼席へ放り込んだ後、第2打席では中前打を放ち安打数を一気に101に伸ばした。王手をかけてから3試合無安打だったドラフト候補の爆発で、立大が東大に勝利した。

 苦しみから解き放たれた打球が、左翼スタンドへ向けて高々と舞い上がった。初回、カウント2-0。先頭打者の大城は、東大・山本俊が投げた142キロの真っすぐをこん身の力で振り抜いた。「ストライクがきたら1打席目から振ろうと思っていました」。今季初、通算4号アーチが記念すべき100安打となった。

 2打席目にはスライダーを中前へ打ち返し安打数を101に伸ばした。立大歴代3位の快挙を達成したが、もともと打撃練習が嫌いだった。「守備ばかり練習していたら、高1の秋ごろ、練習が終わって家に帰ったらバットを持ってお父さんが立っていた」。それから清二さん(53)と毎夜特訓し今がある。大学野球生活77試合目。現役では明大・高山俊外野手(4年=日大三)の111安打に続くメモリアルを成し遂げた。

 それでも、王手をかけてからは苦しんだ。「野手がいないところに打とうとしても(野手が)30人ぐらいいるように見えた」。法大3回戦でリーチをかけた後、早大戦では13打席無安打。1年秋から5季連続で打率3割を残す大城にとって、3試合連続無安打は初めてだった。戸惑いはあったが、基本に戻った。「ノックを多めに受けて足を動かすようにしました」。下半身が動くようになると、自然とタイミングも取れた。

 10日、母の日に間に合った。「早稲田戦で(100安打の)ボールを渡すつもりが、1本もヒットを見ずに沖縄に帰ってしまったんで」。試合後、夕食を共にした母千秋さん(43)は笑い飛ばしてくれたが、情けなかった。「ホームランボールを沖縄に送ります」。孝行息子のメモリアルな1発は、最高のプレゼントになった。【和田美保】

 ◆大城滉二(おおしろ・こうじ)1993年(平5)6月14日、沖縄・豊見城市生まれ。小1で野球を始め長嶺中では軟式野球部。興南では1年秋からベンチ入りし、エース島袋洋奨(現ソフトバンク)を擁し2年時に甲子園春夏連覇を達成した。立大では1年秋、3年秋にベストナイン獲得。バットは890グラムを使用。50メートル走は6秒0。家族は両親と妹。175センチ、71キロ。右投げ右打ち。