<日刊スポーツ:1996年10月25日付>

 プレーバック日刊スポーツ! 過去の10月25日付紙面を振り返ります。1996年の1面(東京版)では、オリックス初の日本一を伝えています。

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<日本シリーズ:オリックス5-2巨人>◇第5戦◇1996年10月24日◇GS神戸

 イチロー万歳、日本一だ! オリックスが巨人を破り、悲願の地元神戸での日本シリーズ初優勝を飾った。球団創設8シーズン目と最も歴史の浅いチームが、球界の盟主・巨人を倒した。シリーズ直前に「伝統、名前だけで野球界に君臨し続けるのはどうかと思う」と、打倒「巨人ブランド」を宣言していた。公約を有言実行した23歳パワー。それはそのまま「イチロー時代の到来」を予感させるVだ。

 最後の打者・仁志の左飛を田口が処理した瞬間だ。イチローはクルリと背中を向け、大きくジャンプした。視線の先には声をからし、叫び続ける神戸のファンがいた。ギッシリ埋まった右翼スタンド。そこに向かって両手を突き上げた。「バンザ〜イ」。胴上げの輪に加わる前に、これだけは絶対やっておかなくてはならなかった。

2年越し、神戸の夢がかなった。震災からの復興を目指し続ける神戸の夢をイチローがかなえた。そして打倒「巨人ブランド」を成し遂げた瞬間でもあった。

 神戸での日本一実現のほかに、もう一つやっておかなければならない「仕事」があった。それが「巨人ブランド」を打ち破ることだ。シリーズ直前に巨人のことを指して言った。「伝統、名前だけで野球界に君臨し続けるのはどうかと思います」。長嶋巨人を倒すことで、球界に新時代を切り開きたい気持ちを表現していた。

 公約を果たした。報道陣から「“巨人ブランド”を倒しましたね」と聞かれると、「気持ちよいね。よい、よい。よいね。非常によいです。“特A”です」とご機嫌で話した。Aより上の「特A」という「イチロー語」に、自らの目標を達成できた喜びが集約されていた。祝勝会。敷き詰められたビニールシートに広がった、ビールの泡の海にヘッドスライディングする、無邪気な23歳がいた。

 自らにテーマを課して臨んだシリーズ。開幕から3連勝と、あっけないほどの巨人の存在感のなさに肩透かしを食らっていた。それでも前夜(23日)初の敗戦を喫すると、やはり巨人の「壁」が覆いかぶさってきた。神戸のメリケン波止場にあるチーム宿舎のベッドで、イチローは夢を見た。「気がつくと僕が砂漠にいるんです。そこは急な坂みたいになっていて、僕は下の方にいるんですけど、上の方からビューンと砂嵐(あらし)が吹いてくるんです。それが立っていられないほど、強烈な嵐なんです。たまらず両手をついて、両手両足ではいつくばる形で必死で前へ進んでいってるんです……」。

 「嵐」は巨人。「砂嵐」は長嶋監督や松井であり、「巨人ブランド」だった。4勝1敗の成績以上に、のしかかってくるものは大きかった。実力も、人気もチームを上回るものがあった。力の強いもの、抗し難いものに懸命に立ち向かう気持ちが、そんな夢を見させた。

 負けるわけにはいかなかった。この日、試合開始直後の1回。3アウト目となる落合の中飛をキャッチすると、そのままボールを右翼スタンドに高々と放り込んだ。試合終了間際に行うことはあるが、初回にこのパフォーマンスを見せたのはこの日が初めてだ。前夜の「嵐」を吹き飛ばすしぐさ。「巨人ブランド」の典型である落合への対抗意識。同時に「今日、神戸で決める!」というファンへのメッセージだった。

試合後の記者会見。「12分の1になったことは、とても光栄です。でも、これからが大変。勝ち続けることで生まれる壁がある。それを乗り越えるのが大変だと思います」。「嵐」の次は「壁」だ。球界に新時代を呼び起こす男は早くも次なるテーマを設定した。

 歴史も実績も伝統もないチームが、「球界の盟主」を倒した。スーパースターのプレーとパフォーマンスが球界を変える。ファンを呼ぶ。黄金の日々へ、プロ野球の新しい時代の扉を今、イチローが開けた。