さようなら背番号31、ありがとう背番号31。阪神掛布雅之2軍監督(62)が、今季最終戦のウエスタン・リーグ広島戦(甲子園)でラスト采配を振るい、就任後最多の16得点の猛攻で有終を飾った。テスト生同然で入団した男は、不断の努力で4番に上り詰め、85年に球団初の日本一を導いた。多くのドラマ、感動を生んだ希代の主砲は、還暦で2軍監督として若虎育成に心血を注ぎ、2年間の重責をまっとうした。みんなに愛されたミスタータイガースは今後、フロントマンとして、常勝軍団作りに力を尽くす。

 掛布コールが鳴りやまない。大歓声を浴びる背番号31は、最後のユニホーム姿を甲子園に焼き付けた。16年に2軍監督に就任し、「KAKEFU 31」を27年ぶりに復活させた。この日で2年間の任期が満了。陽川が3打点を挙げるなど、チルドレンは就任後最多の16得点で送り出してくれた。「意外とすっきりしている。やりきった感の方が強い」と充実感を漂わせた。

 ファンの存在が選手を、掛布2軍監督の背中を押した。「ファンの目が選手を育てると僕は思っている。鳴尾浜にしても甲子園にしても、大勢のファンが足を運んでくれて、2軍の野球を見てくれる。素晴らしい舞台を作ってくれた」。この日も雨が降りしきる平日の昼間に7131人が集結。ベンチから出て投手交代を告げるたびに、観客は立ち上がって手をたたいた。タオルで涙をぬぐうファンもおり、「現役時代を思い出した。ちょっと背中がぞくぞくっとするようなですね。左バッターボックスに入ったような感じ」と懐かしい記憶をたどった。

 現役時代はテスト生同然で入団し、猛練習で85年日本一の4番に上り詰めた。そんなスターが偉ぶらず、選手目線で指導してきた。「上から選手を見て野球を指導することは絶対してはいけないと。選手に目線を合わせて同じ気持ちになって、同じ汗をかいて、野球をやらなければという気持ちがあった」。ただ、心残りもある。「優しい監督だったのかもしれません」。もっと鬼になった方が良かったのか…。1軍に送り出しても定着できなかった選手たちの顔を思い浮かべると、少し悔いも残った。

 若虎たちに贈る言葉。それは「1人に強くなってほしい」だ。「打席の中では誰も助けてくれない。24時間の中で、1人で(練習を)やる時間を10分でも20分でも持ってほしい。そうなると1軍で通用する野球ができる」と力を込めた。

 試合後はマイクを手に、ファンとの別れを惜しんだ。甲子園を涙に包むかと思いきや「(昇格させた)ほとんどの選手が(2軍に)落ちてきましたのでね。ちょっと寂しいかな」と自虐ネタで笑いを取るのも忘れなかった。藤浪らナインが準備していたセレモニー後の胴上げは、両手で何度もバツ印を作ってかたくなに辞退した。「勝者がするもの。優勝監督がされるのが美学。僕がされる立場でない」。野球人掛布として最後まで男の美学を貫いた。

 今後はオーナー付アドバイザー的な立場でフロント入りすることが確実。ユニホームを脱いだ“優しいおじいちゃん”は何歳になっても、温かく選手たちを見守る。もう1度、日本一を味わうために。【真柴健】

 ◆掛布雅之(かけふ・まさゆき)1955年(昭30)5月9日、千葉県生まれ。習志野から73年ドラフト6位で阪神入り。2年目の75年に三塁の定位置を獲得。当初は中距離打者だったが、田淵幸一が西武に去った翌年79年からは、長距離砲に成長。85年はバース、岡田彰布と強力クリーンアップを形成して、球団初の日本一へと導く。その後は死球などによるたび重なる故障に苦しみ、88年引退。通算349本塁打は阪神最多、1019打点は同2位。三塁手のベストナイン7度。現役時代は175センチ、77キロ。右投げ左打ち。