DeNA宮崎敏郎内野手(28)が、青く染まった左翼テラス席にこん身の1発を放り込んだ。同点に追いついた6回2死一塁から一時勝ち越しとなる2ランだ。打席に入ると、森をにらみつけた。フルカウントからの6球目。膝元への146キロ直球をかち上げた。ベンチが沸き上がったのを背中で感じながらダイヤモンドへと駆けだした。日本シリーズ初安打を本塁打で飾ったが「負けてしまったので…。切り替えて、頑張ります」。難敵と胸を突き合わせた。

 同郷のスーパーヒーローに格別アーチを届けた。2年前の交流戦だった。敵地・ヤフオクドームでの全体練習。宮崎はドーム内の15番通路に向かった。99年に26ホールドを記録し「炎の中継ぎ」と称された元ダイエー藤井将雄投手(享年31)の記念プレートの前に立った。「地元のスターです。小さなときからの憧れです。この場所には来て、しっかりとあいさつをしたかった」。手を合わせ、そっと目を閉じた。あれから2年。日本最高峰の舞台で敵地に舞い戻った。

 男臭くて情に厚い。先人を敬う九州男児。破竹の勢いだけに頼らず、粘り強くCSを勝ち上がってきた。簡単に引き下がるつもりは毛頭ない。ラミレス監督の“肝いり息子”で開幕からケガをのぞき大半の試合でスタメン出場を続け、7月21日になってようやく「レギュラー」の称号をもらった。128試合に出場し、打率3割2分3厘でセ・リーグ首位打者を獲得。「ハマのプーさん」の打棒が、ソフトバンクと互角に渡り合える勇気をチームに与えた。【為田聡史】

 ◆藤井将雄(ふじい・まさお)1968年(昭43)10月16日、佐賀県生まれ。唐津商-日産自動車九州を経て94年ドラフト4位でダイエー入団。99年は最優秀中継ぎ投手に輝き、チーム日本一の原動力に。00年の日本シリーズ直前の10月13日、肺がんのため31歳で死去。巨人に移籍していた工藤(現ソフトバンク監督)も葬儀にかけつけた。背番号15にちなんでヤフオクドームの15番通路が「藤井ゲート」と呼ばれている。