プロ野球広島の内野手で、国民栄誉賞を受賞した衣笠祥雄(きぬがさ・さちお)氏が、23日夜に上行結腸がんのため東京都内で死去したことが24日、分かった。71歳だった。

 衣笠氏と米大リーグのスーパースター、カル・リプケン。2人の鉄人が交わったのが、96年6月14日(日本時間15日)だった。リプケンは当時オリオールズ所属。ロイヤルズ戦で2216試合連続出場で世界記録を塗り替えたが、2215試合連続出場の衣笠氏は、新たな歴史の扉が開く瞬間に立ち会うため、ロイヤルズの本拠地カンザスシティーのカウフマンスタジアムに入っていた。

 午後8時34分。「ヘイッ、カルッ! コングラッチュレーション!」。ゲームが成立した5回裏、わざわざリプケンがネット裏に歩み寄ってくると、衣笠氏は身を乗り出して祝福の声を掛けながら握手を交わした。その前に始球式では、捕手役のリプケンにボールを投げ込んで「この記録がぼくからリプケンに渡ったという演出ですね」と誇らしげだった。リプケンも「きょうの祝福は、日本の野球への祝福でもある」と敬意を示した。

 衣笠氏は「これからの彼は1人歩きしていかなければならない。かわいそうです」と前置きしながら「ぼくも記録がかかったときは『こんなものなければいい』と思ったことだってありますから」と吐露。その言葉は、いかに大記録が重荷だったかをうかがわせた。

 実は、大記録が生まれた試合後にもある物語があった。衣笠氏が「今夜はワインとステーキでお祝いをしよう」と声を掛けたときのこと。リプケンは「永遠にはプレーできないから」と丁寧にディナーの誘いを制し、ウエート室にこもったのだった。それでも衣笠氏は「物事をこつこつやることが尊重されなくなった世相のなか、彼の記録は断然輝いている」とうれしそうだった。それは鉄人の鎧(よろい)をまとう2人にしか分からない絆だった。【寺尾博和】

 カル・リプケン氏 本当に悲しい。素晴らしい男で、彼を友人と呼べることは誇りだった。彼に対する尊敬の念は非常に大きい。お互いに愛するこの競技に対し、同じような接し方をしていたが、2人の友情こそ何よりも貴重だった。哀悼の意をご家族とご友人たち、そして日本中の素晴らしい野球ファンに送ります。

 ◆カル・リプケン 1960年8月24日、米メリーランド州生まれ。78年ドラフト2位でオリオールズ入団。82年に28本塁打、93打点で新人王。同年5月から98年9月まで2632試合連続出場の大記録を樹立。01年限りで引退した。