必ず甲子園に戻ります。大腸がんからの復帰を目指す阪神原口文仁捕手(27)が7日、手術後初めてチームに合流した。甲子園球場クラブハウスと鳴尾浜球場を訪れ、矢野監督らチーム関係者にあいさつ。鳴尾浜では室内で約4時間、リハビリに取り組んだ。ユニホーム姿で取材に応じた原口は「必ず今シーズン中に1軍の舞台、甲子園に戻って活躍したい」と決意を胸にした。

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輝く目で誓った。絶対に、甲子園に戻る-。満員の聖地で、やり残したことがある。トレーニングを開始した原口が、前を向いて堂々と宣言した。

原口 本当に、たくさんの励ましをいただいて、必ず今シーズン中に1軍の舞台、甲子園に戻って活躍したいと思っています。お立ち台に上がって、やりたいこともあるので、それを目標にしっかり今日から準備していきたい。

変わらずハキハキと話す。いつもの原口が、そこにはいた。昨年末の人間ドックを経て「大腸がん」の診断を受けた。病気を知ったときは「まさか自分が…。という気持ちが1番に思いました。この年齢で大きな病気にかかるとは、僕自身も思っていなかったので…」。。自身のツイッターで1月24日にがんを公表し、治療に専念すると明かした。同31日に手術を受けたと報告し、2月6日に退院したと発表。担当医から許可が出てこの日から室内でウエートトレーニングを始めたが、今も病気と闘っている。

甲子園では矢野監督とも再会。久しぶりに対面した指揮官は「フミ自身いろいろ大変なところもあると思うけど、俺らは待つしかできない。フミなら、また帰ってきて、この甲子園で暴れ回る姿というか、ファンの人にそういう姿を見せることができると思う。でっかくなって帰ってくるんじゃないの」とエールを送った。原口の復活を、信じて待っている。

原口 たくさんの手紙や、SNS上でのメッセージコメント、気持ちのこもった千羽鶴など、たくさんいただいて、僕自身、すごく勇気をもらいました。これからは僕が必ず1軍で活躍して、たくさんの人に夢や希望を与えられるように頑張っていこうと思います。

腰痛で育成契約、左手尺骨骨折、右肩脱臼、そして大腸がん。数々の苦難を乗り越えた男なら、今回も…。そう願わずにはいられない。昨季は球団最多タイ記録の代打で23安打を放ち、数々のドラマを生んだ。背番号94が、甲子園の大歓声に再び包まれる日は、きっと来る。【真柴健】

阪神秋山(同期入団の原口がチームに合流)「話はしました。焦らずに頑張ってほしいなと思います」

阪神谷本球団副社長 第1段階をクリアして戻ってきてくれたのは、非常に喜ばしいこと。ただ本人には「焦らず、ゆっくりとやっていくように」と話はしました。病院を訪ねたときも元気そうだったので、変わらず元気そうだなと。本人も今季中に1軍のグラウンドに立ちたいと言っていたようなので。ぜひ、そうなるように祈っております。

▽広島赤松の場合 16年12月に初期段階の胃がんが判明し、17年1月に切除手術を受けた。7月に3軍へ合流。18年には2軍の春季キャンプにも参加し、3月4日の教育リーグ中日戦で実戦復帰。手術から1年2カ月後のことだった。シーズンはウエスタン・リーグ55試合に出場した。

◆阪神原口の左手首に巻かれていたのは「グッチブレス」だった。2月14日に原口が所属事務所からお守りとしてもらい自身のツイッターに投稿したところ、反響が大きく、大腸がん啓発チャリティーグッズとして発売を始めた。利益の全額ががん患者支援団体に寄付される。「たくさんの方の社会貢献活動が(あるなか)、僕もできていないというのがあったので、それをこのブレスで形にしていただいた」と感謝した。

◆阪神平田2軍監督が、原口と対面した時のことを明かした。「『さみしい顔しないでください』って言われたよ。前向きにやっているよ」と自身が大変な時でも、相手を思いやる言葉をかけられたと言う。「原口の性格は1年目から知ってるんだから。そういう人間だよ」と人間性に改めて感服していた。

<原口昨季の代打名場面>

◆秘打(5月15日DeNA戦)6回2死満塁、エスコバーの速球にバットを折りながらの左翼線への一打は、ファウルグラウンドから大きく曲がってフェアゾーンに戻ってきた。決勝の2点適時打となった。

◆驚異の高打率(7月25日広島戦)2点差に迫られて迎えた6回1死二塁のチャンスで、アドゥワから左前タイムリー。代打打率は5割1分7厘(29打数15安打)にはね上がった。

◆神様に並んだ(10月5日中日戦)左手小指の骨折から再起し1軍復帰した。8回の先頭で代打出場。笠原の初球を中前に運んで代打で23安打目を記録し、桧山が持つ08年の球団記録に並んだ。